決めるのは俺と人生あきらめが肝心

 決めるのは俺と、人生あきらめが肝心。

 これはセットのものだ。

 だいぶ前に別のとこでも書いたが、GHQと関わったという労組あがりの爺さんと昔付き合ったことがある。

 爺さんいわく、「やつらの言い草はいつもこうだ。ソレハアナタガ決メルコトデス。でも結論は出てるんだからな」。

 勝手に結論出しちまってることを、さも相手が考え、決めたように扱う。それがGHQのやり口と。

 爺さん、眼力は正しかった。アメリカ流「民主」化のやり口、ダブルスタンダードは毎度ここにある。

 東西対立盛んな頃、「自由」をかかげるアメリカ支配の国々には独裁が多かった。南ベトナム、韓国、中南米。日本だって例外じゃなかった。今頃、露骨に出てるが。

 内に向けては断固たる決断。アメリカにはポチ犬。当然そうなる。

 小五の餓鬼の頃の60年安保なるものも、爺さん的嗅覚の民衆大衆の怒りの運動だったといっていいんだろう。今のアラブの春とかも、底流は同じだべ。

 でも爺さんの話を聞いて思った。ソレハアナタガ決メルコトデス。そりゃその通りだぜと。支配の方便、上げ底ダブルスタンダードと分かっていても。

 決めるのは自分。こいつは大事だ。たとえ身分は奴隷でも。

 決定的な制約の中でも、決めるのは俺。従うことも、主をなぐり殺すことも、新世界を描くことも。

 これがねえといつまで経っても怨念、ルサンンチマン、請願程度の運動にしかならない。いっときパッと燃えるだけの。

 騙されたなんて、いい大人が言っちゃいけねえのだ。方便で仕方無しに言うことはあっても。



 人生あきらめが肝心はここから始まるのだが、時間切れなので止める。

 結論だけ言っちまうと、他人に対しちゃ徹底的に醒めろということ。誰にも。

 冷たいなんて話じゃねえのは分かるべ? 主体ということ。誰もが。

 引きずられちゃいけねえ。「自分の外に主がいる」たぐいの奴隷モラルに。世の建前に。

 蛇足で付け加えりゃ、それは主面よりもお仲間・身内を装うことの方がずっと多い。