人の共和の哲学、理論は必須
封建儒学、朱子学、修身道徳の系譜をいまだ引くこの国の学校教育や社会人(組織人)教育の致命的欠陥は、どこかの誰かが創作した後付け話のケツをなぞる暮らしの態度や思考様式しか生み出さないこと。
使いやすい。これだけで出来上がってるので。
何もしない(自分からは言わない、動かない)社会の性根もこれ。
統治のための道徳・モラル、思考様式、生活態度を刷り込むのが儒学だからね。
四書五経なんか持ち出さずとも、手を変え品を変え刷り込みに来る。もっともらしさを装って。
自分に根ざした感性、理念とそれに根を置く社会理論、政治理論、教育理論。こいつの樹立は不可欠なのだ。
ヨーロッパは、どれだけこれで苦労したことか。
周回遅れだろうが何んだろうが、やるしかねえ。
人はどこでも変わらねえのだ。
独自性だの何んだののありもしねえ真理教(既得権・旧体制の化けの皮)に騙されちゃ駄目なのだ。
自分を徹底的に客観視して、それでも必ず残る自分。これを大事にすることだ。一人ひとりが生きてるということを。
共鳴共感、人は並立、人それぞれ、人は誰でも造物主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。