国家の根本は統治機構では無い

 国家の根本は統治機構では無い。

 これは、こう言い換えてもいい。国家の精神は、統治に寄り添うものでは無い。

 この国この社会はここを勘違いするから、いつま経っても自由や民主、自立の魂が根付かない。

 結局は統治の側に付き、被支配者を黙らせる役割しか果たさない天皇制の虚構(一人ひとりの良心や魂とは関わらないえせ神様)を克服できないのも、この勘違い(自己認識の無さ)から来ていると俺は思っている。

 国家というマクロな課題は、自己認識というミクロな課題と対のもの。

 この課題と真に挌闘する者が一人でも多く現れない限り、この国この社会は慣性惰性と百年来ぶり返す橋下病(小児病)を抱えたまま、けちな暴発と衰弱、自然消滅に向かうだろう。

 親の財産を当て込む。それを正当化するため、体のいい理由付けやお墨付きを欲しがる。二世三世の政治家共の言動、願望、国家観にそれは如実に表れている。

 こんな国家と社会がまともに存続するなど、古今東西在り得ない。



 共鳴共感、人は並立・人それぞれ、人は誰でも創造主。当たり前の人間存在を表す共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。