殺された男 その二
ジョーン・バエズ。昔の記憶で何かとひっかかるものはあるが、この歌声はいいと思う。
ゲバラが闘争主義のシンボルだった頃、彼にはあまり気持ちが向かなかった。
嫌だったというのでは無い。偶像でしか無かったからだ。
今も彼のことはよく分からない。
分からないが、この男の優しさのようなものは感じる。思想の原動力の箇所で。
中南米人達の間の、プロパガンダばかりとは言えない人気の秘密は、この辺だろう。
民衆への共感。未来を生きるべき子供たちへの愛情。これは多分、彼の感性と思想の実の部分だろう。
この画面にもあるが、頑固親父の風貌のカストロが彼の前だと子供のような笑顔になる写真が多いのは、意図や偶然だけでは無い気がする。
人に自分を投影するのは良いことでは無い。はっきり言えば悪だ。
だが共鳴というのはある。俺は俺、あんたはあんただとしても。
それを感じるのは大事だと俺は思う。黙って通り過ぎるだけでも。
(付記)
優しさは、人をトータルに感じる力のひとつだ。
それが甘さや隙に陥る要素は、常にある。
だがリスク回避でこれを無くすと、人は人で無くなり、思想は一人ひとりとの関わりを止め、ただの政治のプロパガンダとなる。
共鳴共感、人は並立、人はそれぞれ、人は誰でも造物主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。