答えを探す人々へ

 人生の答えはあんたの、俺の中にあるんだぜ。地上の永い生命の歴史を蓄えたあんたの、俺の体の中に。

 思うこと、感じること、直観すること。自分自身を。

 触媒は、時には要るさ。昨日も言ったように。

 それは例えば知識。

 知識が生きるのはあんた自身が、俺自身が本当に生きている時だけだ。あなた任せ、人任せ、批評家の性根を棄てて。

 そんな自分を軸に、知識を情報を事実を見る。これが出来なきゃ害悪になるだけ。どんな良薬も。

 「ブタに真珠を与えるな。ブタはその価値が分からず、怒ってあんたに襲いかかるだろう。」

 聖書の中の言葉だ。

 エリート臭をクリスチャンに付与したこの一節は嫌いだが、言ってることは本当だ。

 こう言えば、言葉の真実味は更に増す。

 真理の真珠は教義の中じゃない。あんたの、俺自身の中にあると。

 生命と人類の歴史の中じゃ一瞬にも足りない人工苔の砂礫を意味ありげに見せつけ、鼻づらにニンジンの餌をちらつかせ、統治の暴力や別動隊の暴力を意識無意識に使ってあなた任せの羊達を黙らせ続けて来た、構造上支配の側のお友達でしかあり得ない、真実の目くらましの印籠役のシンボル・えせ神様。これを戴く(戴いたフリをする)この国の支配の構造を思う時、あんたにとっての、俺にとっての真理の意味は更に重みを増す。

 生きることの真実は、みせかけの血の中にも、刷り込みの故郷の中にも、系列化した鎮守の森の中にも、そのアナロジーの組織社会の中にも無い。


 人は並立、人はそれぞれ、人は誰でも創造主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。