肉体派のゆえん

 ものを書くことと筋肉。

 これには明確に相関関係がある。

 筋力が落ちると気力が湧かない。いっとき湧いても持続しない。

 気持ちが集中しないというのが最大の欠陥。

 ふくらはぎの筋肉は第二の心臓と聞いたことがあるが、実際にそうなんだろう。この辺をそこそこ鍛えておくと、気力は持続する。

 2日に一ぺん程度、30分歩くぐらいでいい。足でちゃんと土を蹴りながら。運動も疲れをためると逆効果なので、そこそこが大事だ。



 俺は、なよっとした奴は信用しない。経験的に。

 ごまかしを身に付けているからだ。ふんばり所でふんばらないことへの。

 病気なら仕方無い。

 私は駄目なんですよと言う奴なんかも、まあいい。こっちも相手のできる範囲で関わればいい。

 自分に正直。こういう者となら、いくらでも関われる。



 俺が一番信用しないのは、自分の欠点を自負の鎧で塗り固めている奴だ。

 この手の奴は必ず宦官になる。実力以外の所で、はっきり言って詐術で人を追い落とす。虚構を使って。

 自分の体でぶつかりもせず、体のいい理由付けを持つ奴、社会の勝手な尺度に平然と載る奴、すがる奴。

 この種の人としての虚弱児を、俺は絶対に信用しない。というよりも、体が受け付けない。

 その種の関わりや状況には、嫌というほど出くわしてきた。

 十年ほど前、「僕たちはそれなりの努力をして来たのだから、それなりの報酬を受けるのは当然」と言い放つ東大生に出会った。テレビの中で。

 これもその頃だが、身内がそこを中退した時、まるで同じ発想をする教授なる男とやり合ったことがある。

 こんな馬鹿な奴の所は辞めるのは当然と思い、一切反対しなかった。中退を。

 虚構に載って人を使役する。力とエサで。体が拒否反応しない方がどうかしている。

 この手の馬鹿に、馬鹿をあがめる者達に、はっきりと言うこと。世の中にゃ、お前程度の努力をしている奴はごまんといる。金になろうがなるまいが。持ち上げられようが持ち下げられようが。見てくれの尺度、虚構の偏差値なんかとは無縁に。

 この手の馬鹿達は永遠に分かないだろう。人は並立。この真の意味を。

 分かっても、死んでも知らん振りだろう。虚構の椅子を守るために。