転載

 この国では今でも人々の意識や無意識の中に、人は生れ落ちるその前から日の丸を背負った天皇の赤子=小国民という擬制が働いているように思います。
 私の田舎では町内会でさえ、ひな壇の後ろに日の丸を貼り付けます。
 人々は、このことの異様さや馬鹿ばかしさに内心気付いてもいるわけです(明治〜昭和初期の帝国の時代においてさえ)。それがタブーというものなのでしょう。
 社会的犯罪(仲間内のルール違反)には厳しい目を向けるのに、この種の国家(無謬の擬制)に通じる事柄には羊の沈黙を守る。
 原発事故はこの種の擬制の実体を、白日の下にさらしたように思います。
 不安な社会心理に乗じて、短期的には橋下のごとき、擬制を実体だと強弁する者が台頭するように思いますが、いずれは葬り去られるでしょう。擬制は泥船に過ぎない。このことを人々が腹の底から実感した時に。