自由と市場と魂の自立

 市場と人の自由は対のもの。

 これはその通りだ。

 互いが互いを自由に判断する市場。

 人の関わりの自由ということ。

 そこで試されるのは、本質的な人の自立=魂の自立ということになる。詐欺や詐欺まがいの駆け引き、上辺の厚化粧なども横行する中で。

 その種の虚偽や虚構を見抜くもの。一つは開かれた情報。もう一つは魂の自立だ。

 魂の自立。平たく言えば、腹据えたものの見方が出来るかどうかということ。結果はどうあれわが人生。これに根ざした―。



 パーフェクトな自由、パーフェクトな市場は、地上にいまだ存在しない。

 だから市場は虚構だ。

 こう言って市場を否定する。

 ここに悪辣な嘘が込められているのは、見落さない方がいい。

 俺が正しいんだよ。俺はあんたの温かい味方だよ。俺が理性的な、新しい仕組みを作ってやるよ…。

 この種の声の実体は、人を自分を知らない思い込み、思い上がりか、支配欲に根ざしたどす黒い情念。そう思ってほぼ間違い無い。どんなに純粋、純朴を装って現れたとしても。

 この種の声の主が望むのは、結局は人の関わりの自由の否定だからだ。人の判断の自由に、結果はどうあれわが人生に耐えきれない性根が生むところの。

 我々に必要なのは、自由を装う虚偽や虚構の否定、情報閉鎖や差別や収奪を生み出す因習や特権性、階級性の否定であり、理性や正義や温もりを装う虚構への回帰では無い。



 共鳴共感、人はそれぞれ、人は誰でも創造主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。