胎内回帰と体内回帰

 不景気や社会システムの崩壊で社会が不安定になると、人は何かにすがりたくなる。

 個々人の集合体の心理=社会心理がこの方向に動く時、社会が改革や革命ではなく、改革を装うファシズム(反動)に傾斜するのは分かり易い話だ。

 そこには改革の幻想と共に、革命・改革派には無い安心感の幻想が付きまとうからだ。胎内回帰、故郷への回帰的な―。

 旧体制の本質は、具体的には法制度や政治体制、官僚体制とそれに連なる諸々の社会システムだが、それは言わば上部構造だ。

 旧体制の下部構造的本質。それは人々を集団として束ね、統治するための幻想の保持にある。宗教神話や民族神話等々の。

 ヒトラーならば、ゲルマン民族の血の優越。歴史神話の幻想に根ざすところの。

 日本では天皇制と、それに連なる歴史観や歴史神話、諸々の宗教的、文化的システムとなる。

 日本ではこの枠を外しさえしなければ、政治上のかなりの乱暴狼藉も合法的に行うことが出来る。

 合法? 人々が怒らずに沈黙し、時には拍手し、軍や警察、検察、徴税吏等々の旧体制の権力が、御追従(ついしょう)のマスゴミ達が黙認するということ。近代法の精神に照らしての話ではもちろん無い。

 この種の集団・集合心理にこびることを忘れなければ、反動の詐欺師達は雄々しい改革者として社会の表層に登場することが出来る。

 近くは小泉なんかはこのやり方をした。今風には橋下。

 それが何で反動? 天皇制でも集団神話でも、それで社会がうまくまとまればそれでいいんじゃないの?

 そうはならないから反動なのであり、人の自由の桎梏なのだ。

 忘れてはいけない。この種の民族神話や宗教神話は、人々の横の絆や温かさや和気あいあいのためではない。統治と支配、既得権確保のための巫女であり、道具に過ぎないということを。

 近代ヨーロッパの歴史は、この種の嘘と虚構との闘いの歴史でもあった。神権・王権との闘いとしての宗教改革、イギリス、フランスの革命。

 これが特殊ヨーロッパの事象では無いことは、人と社会のメカニズムや心のあり方を思えば、すぐに分かる話。

 人が人として生き生きと生き、自前の熱意で汗を流し、発見し、生み出し、人と人の自由で対等な関係を築く。このことは、習慣習俗や指示命令への惰性や唯々諾々からは生まれない。

 それは一人ひとりの身体性から、感性からじゃないと生まれ得ない。

 回帰するならば体内回帰。それはこのこと。自分にめざめるということ。

 それがエゴでもなければ独り善がりでもない、人と人の真の連帯に通じることは、それを生きる人々の常識だ。

 これを顕在化すること。思想として、制度として、生き方として。

 これが宗教改革いまだ成らず、近代革命いまだ成らずのこの国において必要な、基本的な改革なのだ。ニ百年三百年の周回遅れだろうが何だろうが、やることをやらないことには前には進めない。