夕暮れ時のひとり言

 本質の開示ではない、形式を守ることに汲々とする社会は、主無き奴隷制社会だ。

 というよりも、主が何んにもしなくても勝手に鎖に絡み付くボランティア奴隷の社会。これが実体、実情だ。

 この国はまさにそうだと、俺は思っている。

 互いが互いの足を引っ張る。とりわけ、自己の本質を開示しようとする者の足を。歪んだ仲間意識と嫉妬心で。

 「汲々と生きる俺たちの世界から、抜け駆けは許さねえ…」

 これが三十二年前まで俺がいたサラリーマン世界の住人の、例外なき性根だった。今で言うマスゴミ世界。

 思考も行動もポンチ絵の旧世界に置き、何一つ新しいものを発見しようとせず、何ものかを怖れて自己規制する者達の生き方の根底には、必ずこれがある。

 自己規制といったが、実はそうではない。甘さと怠惰と馴れ合いで成り立つ管理社会にはびこる暗黙のルール。彼らの居場所の安泰のため。無恥と傲慢の上に成り立つ既得権のため。

 黙って辞めた者まで、石持て追って来るとは思わなかった。五年、六年の後までも。いや、三十年を過ぎてさえ。

 彼らの驕りや嫉妬心、異質と見るものはこき下ろさずにいられない空っぽな自負、裏腹の自信の無さ、個=自分の無さは今も変わらない。変わらないばかりか、今じゃ性根は血肉に骨にへばり付いている。

 俺に言えるのはただ一つ。他人は社会は変えられなくても、自己は変えられる。

 頼るな、すがるな、当て込むな。汗を流し今を生きる自分を信じろ。