全存在を賭けて ―今日のひとり言―

 「全存在を賭けて」という言葉を思い出す。

 その昔の学生運動のアジの常套句だった。

 これは危うい言葉だった。事実危うかった。この言葉によって斃れた者は多々いた。暴発、自滅等々。

 観念の上に自分を載せる者達の末路。生きようとして、真に生きることなく消えた者達…。

 こう書くだけなら、サロンで茶を飲みケーキを食べながら愚者を見下した知のエリートと、何一つ変わらない。

 その種の場所の嘘臭さを本能的に嗅ぎ取って、人生の暴発への道を歩んだ者はいた。「俺は本当は茶を飲みたいのか、飲めないだけなのか…」。自分の中に巣食うルサンチマンと闘いながら。

 この国に自前の思想は無い…。そう感じた者達は、必ず後者の道を歩んだと俺は思っている。今となっては特に思う。ほとんどの者達は、死ぬか脱落するか崩壊するか転向するかだったとしても。

 この馬鹿ばかしい人生の彼方にしか本物といえるものは存在しないのは、今も少しも変わらない。

 一つ言えるのは、生きなければ何も始まらない。観念の枠を踏み越えた自前の実人生を。

 俺にひとまず言えるのはここまでだ。いまだに。



(付記)

 日々生きるということ。体当たりで。感性に根ざした自分の座標軸で。