人を貶めることでわが身を守る現代の公家、宦官東京人

 人付き合いの間口が狭く、偏差値的なもので人を差別する。

 俺はかつて、この種の東京人が嫌で大阪に行った。仕事はニュースカメラマンだった。

 しかし俺が行ったその年(1973年)に第一次オイルショックが始まり、それを契機に都落ちなど断固拒否だった中央志向の首都圏人が大阪に流れてくるようになった。対面体裁、高賃金だけを求めて。

 この種の者達にとってカメラマン(肉体仕事)は二流人種。それは大阪人達とはっきりと違う彼らの感覚だった。

 他でも書いたことがあるが、当時はまだ地場の世界があった(無くても名残り程度は知っていた)大阪人は、どんなに差別的な奴でも流す汗や作ることへの敬意は持っていた。だから概ね彼らとは馬が合った。東京人とは全く駄目だった。

 東京出身の記者達の特徴。それは自分の領分をがっちりと固めることだった。がっりちと固めて、それに乗っかって相手を下に押し込める。

 その典型が、取材情報を事前にこっちに出さないやり口だった。ニュースカメラマンを顎で使うには一番いいやり方だった。仕事の質は嫌でも落ちるが、自分の立場は守られる。狭い狭い世界の中で自分の優位は保てる。

 それはこの時だけに限らない、フリーター人生に乗り出した俺が出くわした東京人達(東京仕込みのサラリーマン)の、例外無きやり口だった。

 彼らは、上意下達の仕組みの上に身を重ねることで自分を保つ。

 どんな自分を? 雇われサラリーマンの自分を。これが命なのだ。

 彼らは御優しい。猫が腹を見せて擦り寄るように、恭順の態度を示している限り。仕事で与える以上のものを、こちらが与え続けている限り。

 だが、自分の立場が侵されるとなると豹変する。俺は上。お前は下。こいつを誇示し始める。仕組みを利した陰湿なやり口等々を弄して。実際に排除にかかる。相手の暮らしもへったくれも無く。

 新たなものを発見することや、新しい発想や方法論をこの種の者達と創ることが不可能なのは、少し真面目に、身を入れて仕事をしたことのある者ならばすぐに分かるだろう。時には痛さも伴う本物のフリートーク。そして実践。こいつが成り立たない所に新たな芽は絶対に育たない。狭い狭い御身内だけの利権の確保。この嗅覚だけで動く者達との間に。

 俺は初期のものも含め、ブログ開設以来6年間、このことを言い続けて来た。「人は並立、人は誰でも造物主」の共和制の提起も、このどうしようも無い、にっちもさっちも行かない権威主義・中央集権の仕組みと東京人(組織人)の人格・やり口を嫌というほど味わって来たからだ。色んな場面で。

 自分からは絶対に動かない、発想しない。在りものに乗っかって処理する。これだけが命の現代の公家。アクティブなものは率先して嗅ぎ分け、排除にかかる宦官達。

 原発事故以来、俺の言い分を多少は理解する者も増えてきたと感じている。東京仕様の組織なるものの実体があからさまに、否応無く暴露され、白日の下に晒され、権威にすがる者達もさすがにこのままでは駄目と(「中央」は自分達を護ってくれる訳が無いと)気が付き始めたからだ。

 俺はかつて、本来的に個人では背負い切れないものを背負って、土砂降りの娑婆に飛び出した。個人として。単独者として。えげつない言い方だがパンツ一丁で。

 散々嫁さんに苦労をかけ、家族を泣かせてきたが、御蔭でそれなりの景色は見ることは出来た。腐り果てた組織と人間の姿を。あっちで衝突、こっちで放り出されながら。今も。

 実体験から新たなものを作る。それは当たり前のことだ。豚のごとく、言いなりのままに生きるので無ければ。


 共鳴共感、義理人情、人は並立、人はそれぞれ、人は誰でも造物主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。