ひとり言

 個々の技量が絆の職工的労働者組合を夢想した三十余年前。

 「俺は英雄待望論」。仲間と思う者達のこんな言葉を聞くたびに、俺はくたびれ果てた。

 こんな奴らの中でと思う自分と、そんな自分に嫌気がさす自分。

 それやこれやで組織を辞め、自営という名のフリーターになった。

 戻った田舎は身内を含め、上を向く者ばかり。わざわざ追いかけて来て蔑む者さえいた。生き方の先進が売り。そんなクリスチャン婆あさえ例外では無かった。

 濃密な放射能をくらったある村の村長が「私の若い頃はうかつに村に戻ると、『都会で何か悪いことをしでかしたか』位にしか思われなかった」。高度成長の余韻を引く、くだらないだけだった時代。

 何が変わったというのか。

 人のものでも何んでも無い、自分の人生。絶望は無いが。



 共鳴共感、義理人情、人は並立、人はそれぞれ、人は誰でも造物主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。



(付記)

 この種のプロパガンダは止めた方がいいと忠告してくれた者がいた。
 ありがとう。だが言葉や情報ばかりを求め、解釈の海に漂っているだけのあんたとは、はなから無縁だ。