上昇、切り捨ての破棄と自分の救出

 人も社会も自然性、共同性を失くして人工的社会に行き着くのではない。

 ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ、前者を切り捨てる形で移行するわけでは無いのだ。

 人の心もそれと対をなす社会も、重層的なのだ。元々。

 それを忘れて、あえて忘れさせようとして過去を切り捨て、過去を嘲笑してきたのがこの国の腐った開化、腐り果てた維新だった。

 政治的、社会的虚構。これと対をなす心性=上昇志向。これに乗っかってこの国の近代は出来上がった。田舎を嘲笑い、共同的なものを、その種の心性を馬鹿にし、虚構の序列の上に載っけた西洋(実体では無い観念)を崇め、失われた共同性の代替物として神とも言えぬ代物=天皇制を鎮座させた。統治の道具=見せかけの一体性のために。

 神とは言えぬ? 一人ひとりの良心に行き着く契機を、これほどきれいさっぱり持ち合わせないカミ様は無い。

 過去を切り捨て、過去を見下す心性は個々人の内にも溢れかえっていた。上昇志向の人工物。これによって成り立つ都会の居住者達の中に。けつを追う田舎や田舎都市の住人達の中に。

 ハコはこのことを歌った。観念では無く実感として。わが身の奥底の実体験として。過去を切り捨て人工物に擦り寄ろうとしても、捨て切れない自分、捨て切れない過去。それが「女の子」なのだ。ハコにとっての。「さいなら」なんて出来なかったさ。

 http://youtu.be/IElfWNFjqK4

 それは人の心に棲む重荷だ。計略的、打算的に生きようとするものにはとりわけ。

 ゲマインシャフトゲゼルシャフト。この二重性を否応無く宿す自分。共感共鳴の自分と損得打算の自分。

 後者に体のいい理由付けを与え、都市という豚舎に住まわせ、あてがい扶持を与えて科挙学歴・御体裁のおのぼり達を使役したのが、この国この社会の腐れ切った近代だった。

 ハコはこのことを歌っている。裏切れない自分、裏切れない過去、裏切り切れない共同性。自分自身の内側の。

 人と社会の真の成長とは何か。

 過去を切り捨てることなく、打算の社会が狡猾に用意する代替物に乗っかることなく、真の自分をつかみ出す。どこに生きていても。

 これは究極的に個々人の作業だ。二股の自分に橋を架け、自分と言える自分を救い出すのは。

 この個人的なものでしかない体験の彼方に、人と人の真の連帯はあると俺は思っている。



 共鳴共感、義理人情、人は並立、人はそれぞれ、人は誰でも造物主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。