田舎に戻って良かったこと

 郷里に戻り、雪国に近い田舎町に住みついて30余年。

 良かったと思うことが一つある。

 周辺の村の人々には、真っ当な人達が多い。

 疑いから入らない、打算が薄い、感性感覚でやり取りできる…。

 元々俺も村育ち。この種の感覚は容易に戻る。

 いや、戻ると言ったんじゃこの地の人々に悪い。

 俺の田舎も確かにど田舎だったが、土地柄という奴はある。ここほど素朴では無いというのが、戻ってからの印象だ。

 雪国の村の出の嫁さんは、ずい分前からそのことを言った。「この辺の人はいい人が多いよ。それに比べてあんたの所は…」。

 そんなに離れているわけではないが、確かに言われる違いはある。

 ずい分前に書いたことがあるが、一見のよそ者や旅行者がいいと言う土地は、住んでみると案外駄目なものだ。

 その種の場所は大概外づらがいい。だから一足踏み込んだ時は好印象を抱く。貧乏人でなければ。

 すぐに分かることだが、外づらがいいってことは表層的な意識(植え付けられたもの)が働くということ。心では無く打算。こいつが先立つと人を値踏みする。腹を探る。

 この手の意識は宣伝上手だから、最初はたいてい乗せられるが、長く住む所では無い。

 「おらの所には何んにも無えから…」。こう恥ずかしそうに言う所は、おおむね暮らしやすい。

 ちなみに真っ当な村の人々は、ぼ〜っとしているが馬鹿では無い。

 ぼ〜っとしながら感じ取る。相手の大よそを。

 感じ取ってもこだわらない。立ち入る筋じゃ無いところに、首は差し挟んで来ない。

 自前のスタンスで生きる限り、これほど暮らしやすい所は無い。


 共鳴共感、義理人情、人は並立、人はそれぞれ、人は誰でも造物主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。