邪推ならいいけど
今朝は忙しいので閑話(?)二題。
◎爺臭さ
この頃、東京方面の書き手の中身が、急速に爺臭くなっているような気がする。
例えば「人は、人生はこんなもんだろう」。一見余裕の評論だが、そうじゃ無いね、どうも。逃避、または前進力の欠落。
◎邪推ならいいけど
昨日の「コメント」で思ったこと。
ボランティアでしかできないであろうサイトに、何で短時日に膨大な情報や言葉を注ぎ込めるのか。長期間、シリーズで。
俺のような貧乏人には到底無理。金持ちだって普通は無理だろう。金はあっても暇は無い。世の中、そんな人間が大半だからだ。
学生なら出来る。だが俺の知る限り、学生ぐらいの年代ではそこまでの社会(政治)認識は通常持ち合わせない。生硬な観念が先立つからだ。例外は皆無では無いかも知れないが。
マスゴミ人のはぐれガラスなら可能だが、そんな者を飼っておく場所はどこももう、そうは無いだろう。
一番考えやすいのは、どこぞの学術組織や学術財団、または公務員的団体。ここに所属する者。それも閑職。
暇に任せて。これならまあいいが、困るのは意図的にやっている場合だ。
学術財団なんてのには、国家役人の意を受けたプロパガンダ的なものが結構ある。「田舎はいいなあ。⇒そこはよさが沢山。⇒だから伝統は大事に。⇒御国の心を大事に」。
以前出くわしたこの手の財団「学者」のお仲間は、「絆は大事。だからがれきも皆で分かち合って」。そう得々とのたもうていた。
俺の知る膨大情報提供サイトに、この種の臭いは薄い。今は。
だが本音は何かは見せないまま、国家や社会批判の情報だけを次々に繰り出すこと自体、不思議というか変だというのは変わらない。仮に中身は的確だとしても。
その昔の国家総動員。この研究を軍は実施の十数年前、あるいはそれ以上前からやっていた。
何かに向けての心理戦。これならお手のものだろう。この種の組織や委託機関なら。金も暇も、一先ずやらせる的ゆるさもたっぷりあるだろうしね。
邪推であることを願いつつ、腹には収めて見ている。
ついでに。膨大な情報の繰り出しは、複数なら可能。だが、同じトーンの情報や文を長期に渡って出し続けるのは、緩いボランティア程度の集まりじゃ無理な気がする。
(付記)
何事も鵜呑みは禁物ということ。当たり前だが。
それさえしなけりゃ、何見たって無駄にはならない。
毎度おなじみプロパガンダ。こいつは俺の自前。
共鳴共感、義理人情、人は並立、人はそれぞれ、人は誰でも造物主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。