無名、献身、犠牲と大衆

 「吉本(隆明)の類をみない独自性は、大衆という視点を自らの知の営みを相対化する上で、思想の半身として繰り込んだ点にある。吉本は大衆とは何かを考えるときの個的な原像として、3人の近しかった人物を挙げている。父と私塾の教師と編集者岩淵五郎である。3人が3人、無名であるということと、放棄・犠牲・献身という態度をその日々の生のあり方において体現していた存在であった。」

 これは先日地方紙に掲載された、芹沢俊介という批評家の書評の一節だ。

 この一文は、1960年代までの吉本の思想の根源を示している。この国には確かに稀有な、肉体を備えた思想家だった当時の彼の思想の基盤を。

 岩淵という人物は知らないが、当時の吉本が思想の根幹に置いた「大衆の原像」のその原像は、彼が子供の頃通った下町の私塾の教師や父親や祖父らにつながるものだったことは確かだろう。

 筆者は吉本の言う大衆の原像の要素として、無名、放棄・犠牲・献身を挙げているが、これも当たっているだろう。

 だが、ここにおいて注意しなければならないのは次の点だ。芹沢という人物は、知識人のスタンスでこのことを語っているということ。

 もし彼が当時の吉本の言う大衆の一人ならば、大衆である自分自身の生き方を放棄・犠牲・献身とは言わないだろう。無名とも。

 吉本の言う大衆は、自意識(社会的なものによって形成された意識、価値意識)の側には身を置いていないからだ。

 その種の大衆が仮に自分を言ったとすれば、次のようなものだろう。「こんなもんさ。俺の人生」。

 無名であるかどうか、放棄であるかどうか、犠牲であるかどうか、献身であるかどうか。これらは自意識の側や、自意識に重心を置く生き方の側から見た価値(判断)的表現に過ぎない。

 ここで言う無名であること、放棄や犠牲や献身であること。それは吉本の大衆(インテリ用語としての常民)にとっては、わが身の充実を示すものに過ぎないからだ。仮に吉本自身がこれらの人々を振り返って、無私や犠牲や献身などと言っていたとしても。

 この国の伝統的観念が言う無私や滅私、自己犠牲。それは当時の吉本の言う大衆の生き方とは根本的に無縁のものだと俺は思っている。

 これをどこかで混同するところに、この国の思想の底の浅さ、肉体の無さ、移植的観念の遊戯、人としての実体(人生上の実践)の無さ、更に言えば権力権威の思想との未分離があると俺は思っている。

 ルソーの言う自然人でもいい。青年マルクスの言うドイツ職人労働的労働者でもいい。イギリスの公正先駆者組合の労働者でもいい。

 彼らは言うだろう。「無名? 無私? 放棄? 献身? 犠牲? 俺の人生充実してたぜ」と。

 人を愛し、子を産み育て死んでいくものとしての大衆。これを描いたはずの吉本に欠けていたものがあるとすれば、彼自身結局はこの国の社会的意識(自意識)で成り立つ知識人の側(集権的な知の側)に身を置いてしまったところにあると俺は思っている。

 それは決して、彼がかつて言った大衆の原像に支点を置いた生き方では無かったと俺は思っている。

 そこに吉本自身の限界と、後期や晩年の愚かしさがあると俺は思っている。

 それははっきり言ってしまえば、いつまでたっても天皇制的虚構(善なる人がいつか必ずわが身を照らしてくれる的虚妄)を抜け出せないこの国の思想の限界(人間的な肉体の無さ)を表していると俺は思っている。

 俺は何度でもはっきりと言う。吉本がかつて言った大衆の原像。それはへんてこりんな観念や偶像とわが身を重ねる愚衆のたぐいとは、全くもって無縁なのだ。根底において。

 実人生を生きてみれば馬鹿でも分かる話なのだ。もしあんたが、真っ当に汗してこの世を生きる一人の大衆ならば。

 インテリ(社会的なものに掉さす者達)にとっての無名や放棄や犠牲。それは人民・民衆(の本質=原像)にとっては紛れも無く充実なのだ。実あるものを愛する者達にとっては。



(付記)

 俺の言う共和制。その基底はここにあると俺は思っている。

 共鳴共感、義理人情、人はそれぞれ、人は誰でも造物主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。