この国はもう駄目だ
この国はもう駄目だという言葉によく出くわす。ネット上で。
そう。駄目なのだ。上部構造の殻がこれほど固い国は。それにへばり付いて離れぬ者がこれほど多い国は。
あの御優しい天皇を見よ。
本当に御優しければ、真に御優しければ、到底居たたまれないだろう。御仕着せの人生は。
そう。居たたまれないだろう。内心は。彼らの中では正直者だった皇太子のように。
しかし辞めようとはしない。しないばかりか、嫌々忠実に職務をこなす。延々と。虚構のための職務を。
これはこの国の、固い甲羅を身にまとった上昇した民衆=雇われサラリーマンの姿でもある。
人として研鑽を積んで向上したのではない、ただの上昇。虚構の仕組みをよじ登り、隣人を差別し蹴落とし、何が真に賢いのか愚かなのかも見抜くことなく、豚舎の豚として死んでいく者達。
いや、気が付いてはいる。天皇の一族のように。だから肝心要の土壇場では必ず居丈高になる。差別をする。虚構ではない、無に生きる者達を。人はゼロから、自分自身から始まる。そう生きる者達を。
この種の出来事に、何度人は出くわして来たことか。宦官達の群れに囲まれたこの国この社会で。
このことは死んでも忘れないことだ。あんたが人民ならば。真の民衆ならば。
そう。甲羅の固い国なんざ、元々どうでもいい話なのだ。その種の殻にへばり付いて離れられぬ者達も。我々人民、民衆には。
共鳴共感、義理人情、人は並立、ひとはそれぞれ、人は誰でも造物主の共和制へ。一人ひとりに値を置くインターナショナリズムへ。
(付記)
ゲバラよ。俺はお前では無い。だがお前は何を真に求めていたのか。これに共鳴することはできる。俺の居場所で。