革命は人生のごとく延々と

 餓鬼の頃、近くの塚らしき場所で人骨を掘り出し、これは古墳時代のもんか、いや義仲の闘いの頃のもんかと勝手に思いを巡らせていた田舎もんの俺は、日本史に比べ、西洋史は弱かった。

 先日誰かの記述で「フランス革命は延々70年続いた」とあって、そう言やそうかと思ったら、昨日は国営放送・教育(ここは地上波で唯一ましなものをやることがある)の高校生講座で100年かかったという意味のことをセイン・カミュ(だったかな)が言ってた。

 ずい分な数の人の犠牲の上にできたとも、さらっと。

 そうだね。何事も。些末と見えるどんな事だって。

 こんな当たり前のことが、普段まるで忘れられてるのがこの社会なのだと、改めて気が付く俺もおめでたい。闘争によってしか、何事も勝ち取れないということを。

 闘争の根本的動機。それは上っ面の観念への迎合ではない。いかに本気で生きるかだ。自前の人生を。こいつの無いところ、薄いところに、歴史を含めた他人の人生への真の共鳴も無い。

 愚痴みたいな話だが、今朝はこれで止める。


(愚痴のついでに)

 ほんと、ごろつきに過ぎない石原なんて奴の身勝手を、意味ありげに書くマスゴミ
 こいつを延々選び続けた地域の平均値もこの程度ということは、しっかりと見ておくことだ。見た目だけが命の組織のシロアリ=宦官人生にちょろまかされねえために。