進歩の観念からの決別、保守の観念からの決別

 進歩という観念が人間を駄目にしたという、保守的な者達の側(例えば「恒なるものを見失った」と言った小林秀雄)から提起され続けてきた批判は真っ当だ。

 この真っ当さをいわゆる左の側で受け止め、乗り越えようとしたのが吉本隆明だった。

 1960年代。地べたで汗する人間達の感性をいまだ失うことのないまま大衆化した大学に入った田舎出の者達の中には、左翼的、または戦後民主主義的な進歩の観念にからめ捕られる自分と、そんな自分への違和感からの脱出口を吉本の著書(または小林の著書)に求める者達が少なからずいた。俺もその一人だった。

 田舎出の学生達をからめ捕ったもの。それは一種の「引き裂かれた自己」だった。観念の正しさと、その正しさの噓くささに身もだえする自分と。

 吉本や小林の真っ当さを直覚した者達は、その後の多くの時間をこの課題の解決に費やさなければならなかった。身を以って。

 身を以ってというのが、この直覚をまともに受け止めた者達の宿命とでもいうべき、否も応も無い道だったように思う。

 「書を捨てよ、街へ出よう」。

 これはある劇作家が言った、1970年頃の時代状況をとらえた一種の流行語だ。この種の言葉に逃避的に身を委ねることのできなかった者達は大抵、その後の人生を苦しみ歩くことになったと俺は感じている。

 実体験からつかみ出せ。

 言った当人のことは知らないが、流行語はこう読みかえることも出来た。腹で受け止めた分、否応無く不器用不細工な人生を歩むしかなかった者達には。

 俺についていえば、確かに捨てることが人生だったと振り返って思う。観念が固執するものを。生きるという、家族を抱えて飯を食うという実体験の中で。

 これに後悔は無い。不徹底で未熟な分、負荷と矛盾を嫁さんやわが子に背負いこませてしまったことを除けば。