参加の社会と主体の確立

 劣化した人と人間を主体的に救うには、参加の社会作りが一番だと俺は思っている。

 鋳型を抜け出た主体の確立。

 結局はここに行き着く。

 観念に掉ささない自分。

 無私の本質も、ここにあると思っている。

 我(が)を取り払った自分。

 それは自己放棄や自己犠牲では無いし、何かにひれ伏すことでも無い。

 我(観念的世界に浮遊する自己)を取り払うこと。それは生の本質に目覚めるということなのだ。主体的に生き、人を愛することのできる―。

 観念に寝そべり、観念を振り撒く者達。

 それは真の自分(万人の一人に過ぎない自分、だが固有の自分)に目覚めることを怖れる怯懦の者達、自身の人生の敗北者達なのだ。


 一人ひとりに根を置く共和制万歳。インターナショナリズム万歳。