コミューン=暮らしの小単位

 「日本には上昇の仕組みしかなかった。パリの裏町には助け合いがあった」

 日本に失望し、パリで腕を磨いた画家はそう回顧したという。

 この種のものはあるのだろうと思う。

 コミューンとは暮らしの助け合い、相互扶助だ。

 そこから腹を割ったつながりが生まれる。どこの社会の人間も一緒なのだ。

 社会は、この種の暮らしの小単位を基礎に成り立つことが必要だ。日本のような行政、政治の下請けの隣組では無く。

 そこでは一家の暮らしの糧を得る労働者が、生活者としての人間が必要になる。地位・体裁・虚名・肩書以前のヒトが。

 これは夢想では無い。この国この社会でも人々は気が付き始めている。萌芽は生まれつつあるのだ。

 共和制の基礎。それはこのようなものだと思っている。