(4)三島と東京人(再録)


 キーンとかいう日本文学の研究者だったと思うが、三島由紀夫は「本心が無い」という言い方をしていた。



 はっきり言っちまえば、自前の情感が無いということだろう。



 三島は、松といえば盆栽の下がり松の形をしたものだけが松と思い込んでる、とも言ってた。



 



 その種の欠如を、どこまで行っても観念ばかりの自分を一番気にしていたは、三島自身だろう。三島は必死で自前の情感なるものを探り当てようとした。挙句にまた、「松といえば下がり松」の類のヘンものをつかんじまったと思っている。死ぬ直前に正直に言った通り、「自分を変えるなんて無理」だったのだ。三島においては。



 三島がつかんだものは、上っ面自前の情感の衣装をまとい、「このクニ固有」を吹聴する、凝固した自意識・観念の創作物だった。堂々巡りもいいとこだ。



 



 俺は、三島は最も正直な東京人だったと思っている。



 「中枢」の、出来合いのものの上に載っかってる自分。こいつに、一番居たたまれなかったのは三島自身だ。だから必死で変えようとした。自分を。



 それは多分、言われるように、一応エリート官僚だった親父の差し金で、徴兵検査をごまかして学徒出陣のたぐいを免れたことに淵源するのだろう。それは、一応「合法的」だったはずだ。親父の出身地で田舎者に混じって検査を受ければ、ひ弱で虚弱なインテリは、相対評価が働いて不合格となる。この種の知恵の働かせ方、利権と地位の使い方は、今も寸分変らぬ東京人のやり口だ。当時、この手を使える者達が一般民衆、とりわけ地方の民衆の中にどれほどいたろうか。仮にいたとしても、大概は使えなかったろう。「本心」の心のうずきが働いて。 



 



 東京人が、この種の知恵と利権の行使を平然とやってのけられるのは、心も身も集権構造に乗っかった者達特有の心理、「俺達(私達)は特別」に意識の根っこが置かれているからだと思っている。この種の心理は、三島の親父のような、「息子よ、お前は大蔵官僚」と発破をかける上昇志向のエリート官僚とその家族にとどまらない。ほとんど全ての民間組織とそこに生きる者達、サラリーマンとその家族達も、意識の根っこはこれによって成り立っている。理由は簡単。彼ら彼女らの知の構造も、学歴志向の構造も、それに根ざした出世(差別)の意識も、官僚達のそれを範として成り立っているからだ。こいつは戦後も少しも変らなかった。変らないばかりか、田舎出の「庶民」の中にも拡散し、恥知らずなほどひどくなった。この種の意識と上昇志向は、「学歴の門戸」等を少し広げたぐらいでは、おいそれとは無くならない。門戸が開かれ招き入れられた者達の意識も根もまた、そこにあるからだ。偏差値劣等の「馬鹿」達もまた馬鹿なりに、がんじがらめ、上昇志向の固まりなのだ。



 



 三島は、「自分達は特別」の上げ底を嫌悪する余り、自家中毒・堂々巡りに陥った。持ち上げられてる自分を、どこか見透かしてるように見える田舎者への嫌悪。嫌悪する彼らへの後ろめたさ。空騒ぎのあげくつかみ取ったつもりの究極の空虚。それに殉じようとする、情念を装った観念。



 それでも三島は正直の男だった。空っぽな自分に体当たりをかけたという点で。とりわけ東京人の中では。



 俺が出くわして来たのは、男も女も、能面のような面と心と、姑息で陰湿な差別の性根を隠し持つ東京人ばかりだった。これらの者達の欠落は、自分が抱える空虚の本質を探り当てようとする性根のカケラも無いことだ。彼ら彼女らは、「自分達は特別」の集権利権の意識と構造が傷つけられたと感じた途端、上っ面の「穏やか」「民主」をかなぐり捨てて本性をむき出す。