(1)始まりはお前だ(素人カメラマン N)

(初出 6/30/2006)

 もう20年ほど前のことだ。その頃私は仕事の一つとして、ローカル局の番組作りを請け負っていた。それについては様々な記憶があるが、今はある人物の思い出を記してみたい。Nはカメラマンだった。というよりも、カメラマンの資質を持った素人だった。彼は、映像の組み立てのイロハさえ知らなかった。映像にも文法のようなものがあり、シーンを構成する最低限必要なカットの流れがあるが、どうにもそれが頭に入らないようだった。しかも仕事が遅かった。だから誰もが彼を嫌い、馬鹿にした。

 ある時私は、Nがランダムに撮った映像を丹念につなぐと、時としてあるみずみずしさが表れるのに気づいた。彼は彼なりに、何かを感じ取りながら撮っていたのである。普通人は、職業的な撮影にはまず文法から入る。その方が覚えがよいと見られるし、実際クレームも付きにくい。分業の世界は、法則的な組み立てにより成り立っているからだ。しかし、その種の飲み込みが良ければ良いほど、何かが抜け落ちることも多い。

 私はNと仕事をする時は、最低限必要なカットだけ依頼して、あとはできるだけ委ねることにした。とうにしびれを切らすところを辛抱して、時間ぎりぎりまで撮らせたのである。彼は、普通の撮影者の2倍から3倍程度の映像を撮った。感心したのは、多く撮れば撮るほど画面は雑になるのが常なのだが、Nにはそれが無かった。彼なりに、一つひとつが必死だったのである。彼は、鼻の頭に玉の汗をかきながら撮った。

 ある時私はNと、今振り返っても良かったと思える番組作りをしたことがあった。そこには、彼の撮った映像が大きく与っていた。彼は画面に、ある種の情感を表すことができた。比較的自由に編集できるシーンでは、それの表現されたカットを軸に画面構成をすれば良かったのである。その種の映像の編集には、文法通りに撮られたものにはない面白さがあった。そんなNの資質は、少なくともこのローカルでは、他には求められない貴重なものだった。番組は、ある大衆音楽の作者の伝記だった。その中で生じた足跡の叙述プラスアルファの要素は、かなりの部分日夜を惜しまず手伝ってくれたある音屋さんと、そして彼から生まれたものだった。



 そんなNとの別れはあっけなかった。もっさりとした彼は、勤めていた孫請け会社を、ある日ろくに訳も言わないまま辞めていった。5歳は年下の彼に「いいもの持ってるんだから」。折を見ては言った私の気持ちは、ついに通じないままだった。宮本顕治が街に来た時、ボディガードをしたのが自慢の孫請け会社の経営者は、「あいつはある高校の校長の息子なんだ。兄貴は早稲田、弟も優秀だけど、あいつだけ落ちこぼれて。親父から頼まれたんだが…」。そう言ってため息をついた。経営者はカクシンを自称する割に、妙に権威志向、学歴志向の男だった。それはまた私の住む、この地方の資質でもあった。

 辞めていったNの心には、彼自身を閉ざす幾重かの檻がある。それは私自身の経験からも想像できた。その粘着的な撮影スタイルにも表れるように、Nなりには自分の中の何ものかと戦っていたのだろう。だが彼もやはりどこかで檻と馴れ合い、彼自身持っているはずの、それを壊すために本当に必要なものに気付こうとはしていないのではないか。冷めた気分と共に、私の中にはそんな思いが残った。もちろん私自身も、道半ばにも達していないのだったが。