えせ(初出 2/12/2007)


 妻は昔、加藤登紀子が好きだった。二十代の頃だ。その後はあまり聴かなくなった。好きじゃなくなったというより、嫌いになったようだった。「なんか嫌なの」。その位しか言わないが、鼻に付くということらしい。その意味なら、よく分かる気がする。学生や学生運動の嫌らしさの面を反省することなく、歳だけ食った。これは俺の言い方だ。



 俺は松山千春という男も、歌も大嫌いだった。妻はここ十年来、よく聴くようになった。「どこがいいの?」。「何となくいいの」。数年前、子供が一時住んだ北海道の東部に行って、その意味が少し分かるようになった。本当に何にもないところだった。猿真似だろうが泥臭かろうが、フォークではなく歌謡曲だろうが、根は素直なのだろう。男の歌を作れなくなったフォーク歌手の行き着く果ては、女に媚びる。俺には、そんな印象が濃かったが。若い頃、かつて反戦歌とやらを歌っていたフォーク歌手のコンサートを覗き、反吐が出た。ひらひらの服の、中産階級の女ばかりだった。



 俺は松山に対しては、今もそのイメージはある。だから妻がかける曲も、あまり聴きたくない。だが、色々馬鹿は言ったりやったりだが、裸の田舎者のよさはある。「何だかかんだ言っても、俺はこれだけのもんさ」。変な自負を引きずらない良さだ。



 かつての知人に、加藤と友人・同窓とかの男がいる。俺と同業だった。当初俺は、この男に敬意を抱いていた。使えば使える肩書きを捨て、こんな田舎で苦労を背負ってと。だが初対面で気持ちは退いた。「あの頃は…」。そう言いかけた俺をさえぎり、「俺は六十年安保だ」と大声でのたもうた。



 その後、彼が逆説利用の肩書き男だということはよく分かった。娑婆で反骨を売りにする奴。そう言えば分かるだろう。ある時期、彼と一緒の仕事をしたことがあった。田舎放送の日銭仕事だった。ある日彼は、スケジュールを直前でキャンセルした。今流にはドタキャン。担当者は困ってぼやいた。「なんしろ、気を使うんですよ…」。腹が立ったので、つい本当のことを言った。「俺は偉そうな顔は死んでもしないよ。言いたいことは言うけど。偉そうな顔したいんなら、その顔で食える場所に行きゃいいんだ。フリーだなんて、死んでも言って欲しくないね」。



 金玉無夫君に同情したのは、愚かだった。告げ口したのだろう。筋書きを男が仕切るその仕事は、二度と来なかった。男はその後会った時、「よう」と挨拶する俺の目も見れなかった。小心男は今も、田舎者の思い込みに支えられて、辛うじてやってるはずだ。「文章も講義も、本音は騙しだからな」。ガクセイ運動の本質に賭け、その愚かさを乗り越えて人生身に沁みりゃ、そんなことは言わないぜ。九割がた事実でも。歯噛みしながら一割に賭ける。その匂いは、この男には皆無だった。十代末の科挙で、人生は終わったのだろう。それはこの男が、娑婆のどの部分とつるんだかの結果でもある。