重ね合わせる人々  (初出 8/19/2006)


 土地のかつての産業家の家に行った。都会に出てだれも住まなくなった家を、子孫は資料館にした。



 館内には、隆盛を誇った何代か前の人物の資料が展示されていた。中に明治の元勲なる人物と彼の、交遊の品々があった。展示の目玉だった。



 地方史のたぐいで反吐が出るのは、この感覚だ。「中央」との関わりでしか自分を見出せない。

 



 昭和のじいさんは、家としての皇室を近代化したかったという。このままじゃ古臭くて持たない。そう思ったとか。なのでその後二代は、家じゃなく家庭をアピールした。それを地で行こうとしたのが、皇太子なのか奥さんなのか、この家族だ。



「こりゃやばい」。思ったのは重ね合わせて生きる人々だろう。家じゃなきゃ皇室はもたない。というか自分の生きがい、仕組みが持たない。弟夫婦の出番なのだろう。



 腹切って死んだ作家も、それを言っていた。文化がどうの精神がどうのと、大仰な話だった。持ち上げられて育った坊ちゃんの空っぽな胸の内を、埋め合わせたかっただけだろう。



 ○○御用達。努力しなくても金の入る仕組み。それはこの手の利に敏い、人の心と呼応する。お菓子程度はかわいいもの。平安の昔から変わらない。



 いっ時、窮状打破に体当たりで出た皇太子には、共感するものがあった。「うちの雅子が…」。その昔、学校にとぼとぼ歩いて通ってたあの坊やがなあ。ばったり出くわした時、お付きはずい分遠巻きだった。



 だんまり決め込んだマスコミ、国民の方が保守なんだなと思った。がんばれ、個人として、男として。今もめげずにいるならばだが。