老いと「みんな」の側 (初出 8/18/2006)
人は老いると「みんな」の側に付く。
父はソーシャリストだった。一応という修飾語は付くにしても。長兄も若い時はそうだった。これも一応だが。
父が死んだ時、長兄は勲四等か五等かの勲章を探し出して、祭壇の真ん中に置いた。弔辞の時、読み上げる者は中国戦線でお国のために戦ったことを強調した。経歴を飾ったつもりだろう。
それも父の一面だ。というより、そちらの顔が実体だったことは、私の方がよく知っている。だがそういう顔だけではない部分、父なりの葛藤や心のひだの部分は、本人からも周りの意識からも、きれいさっぱり抜け落ちていた。
先日叔父が死んだ。死ぬ数ヶ月前にたまたま会った。郷里の家ばかり恋い焦がれていた。うだつのあがらぬ甥の私を鼻で笑った。私の生き方の断片ぐらいは、知っていたはずなのだが。葬儀もその程度のものだった。
老いとはそういうものだ。老人も若年寄達も、国もまた変わらぬ老いの姿をさらす。
そういう老いに意識で逆らっても、意固地なだけだ。ではどうする。走り続けるしかない。体と心を冷やさないために。体当たりで生きるとはこのことだ。
そんなことをして何になる。実入りだっていいはずがない。だが生きることの実感も、そこにしかない。肉体と意識が崩壊するその時までは。