「High Noon」(初出 9/03/2006)
妻が朝から、古いカセットの曲を流した。「High Noon」が入っていた。ゲーリー・クーパーとグレース・ケリーが復讐者に立ち向かう、古い映画の曲だ。
「Do not forsake me oh my darling…」
クーパーの頼りないオヤジぶりが良かった。命がどっちに転ぶか分からぬ男と別れようか…、そんな女心が良かった。上っ面の大義のバッジを投げ捨てて、暮らしを求め去って行く二人が良かった。
どこかの首相が親分の大統領にこびる時、この曲だか映画だかを持ち出したとか。クーパーのかっこよさだけがあったのだろう。言っちゃ悪いが、彼の家庭が温かかったとは思えない。暮らしの自立のために闘ったとも思えない。闘ってりゃ、七光りの子供をタレントなどに、ヘラヘラ笑って送り出しゃしない。
二極対立の世界の頃、専制国家の支配者は、反共の勇猛戦士を気取ることで彼の国の歓心を買った。ゴ・ジンジェム然り、中南米然り。彼の国のマシンとなった彼らからずっぽり抜け落ちたのは、暮らしへの、生きることへの共感だ。
あの男の映画解釈も、得意のすり替えもここにある。というより、分かっちゃいないのだろう、暮らしの実と無縁の二世男には。
女をダシにし、暮らしをダシにし、犠牲何するものぞのかっこ良さ。はっきり言った方がいい。自分を育てられない半端者達の美学。
あの世でクーパーが泣いている。家庭的には不幸だったというケリーも泣いてるだろう。