2007-08-31から1日間の記事一覧

 感性の反乱 (初出 9/08/2006)

ある旧制中学の教務日誌を、大正末から昭和の敗戦時まで読んだことがある。 気がついたのは、ある時を境に記述者の意識が棒のように、感情の無い機械のようになって行ったことだ。 1931年の、いわゆる満州事変の頃はまだよかった。この先どうなるかの不安の…

自然人と原形 (初出 9/07/2006)

「放縦な生活ののち諸学を修め…啓蒙の知性偏重と社会の不合理をはげしく批判。フランス革命の予言者的役割を演じた。いわゆる文明とこれに伴う社会の人為性が自然的な人間生活をゆがめ、社会的不平等を助成し今日の社会悪をもたらしたことを指摘し、自然に帰…

国の形 (初出 9/05/2006)

構想力が無いと、引かれ者の小唄だ。天の下にひれ伏すだけだ。 国の形態は共和制がいい。 国家を乗り越える要素をはらんだものがいい。 全ての地上の人間との連帯をうたうものがいい。 自立に基づくきづなをうたい、それによる交戦権の否定を打ち出すのがい…

 「High Noon」(初出 9/03/2006)

妻が朝から、古いカセットの曲を流した。「High Noon」が入っていた。ゲーリー・クーパーとグレース・ケリーが復讐者に立ち向かう、古い映画の曲だ。 「Do not forsake me oh my darling…」 クーパーの頼りないオヤジぶりが良かった。命がどっちに転ぶか…

 自分の側が負ける時(初出 9/02/2006)

自分の側、自分の原形の側が負ける時。それは「見られている自分」に負ける時だ。 人は自分をどう見るか―。余程夢中か、余程ばかでない限り、これは感じる。そこから先が問題だ。 体力、気力が充実している時、この時は負けない。見られている自分を見ながら…