説教好きと不良(初出 1/28/2007)


 「変人のコイズミさんに招かれて、変人の私が…」



 そう言って「中央」のなんやら会議に、嬉々として加わった者がいる。



 プチブル仲間を放棄して田舎に戻った俺に、ぞんざいな口を利くようになったクリスチャンばあさんの親戚。



 「クリスチャン=信念のヒト」。このヘンな思い込みをひっぺがしてくれた、感謝すべきばあさん。



 そのクリスチャンなる親戚は、説教好きな教師だった。



 生徒には理解ある兄として振る舞い、反抗者には説教した。「理解者」として。



 お里は知れた話。



 説教好きは、寂しいから説教する。善意を、愛を装って。



 あくまで上から。



 欲しいのは巻き込める手下。



 でなけりゃ、在野で黙々とやるさ。



 教育は、中央集権の知のヒエラルキー。それへの郷愁。



 「変人」の自己は、満たされぬ意識の屈折。



 確かに仲間。コイズミと。



 ばあさんは、ある日つぶやいた。



 「利用されてるんじゃないかしら…」



 懺悔しなよ。アーメン。



  この手の善意と真面目ほど、始末に悪いものはない。



 



 元ヤンキーを売る男も、道徳云々を唱えつつ、同種の教育なんやらに。



 説教教師も不良も、あるフォーマット上の裏表。



 説教したがり、されたがり。共につるんで学校管理は、出来の悪い学校じゃよくある話。



 石を投げれば先生に当たる「教育県」の田舎からこの手が輩出するのも、分かりやすい話。