虚構の全体か、実体の全体か (初出 1/27/2007)
権力は空白を侵す。単純に、力と力の関係だ。
人が衰弱し、人の総和の社会が衰弱すれば、資本家共の欲望と結んだ統治者の野望は、生じた空洞に侵入する。
全体性を、無欠の全人を装い。
「部分でしかなくなったお前らの代わりに、範を俺達が示してやるよ」。
ご都合主義で、頭で編み上げた社会秩序、法秩序に、「人格」の風を吹き込む。
市民達が放棄した世間や、衰弱した親が放棄した教育等々を駆使して。光背の現人神などを使い。
「イワシの頭だろうが何だろうが、コクミンはひれ伏す。権力、権威、カネの蛇口握る俺達の共働で」。
資本家、統治者の高笑いがする。
奴らの多くは頭が悪い。「知の優越」のインテリ、市民の言う通り。
だが奴らに、嗅覚はある。「知の者達は、ここを握れば簡単」。
知者達は、孤立を怖れる。「みんな」をちらつかせれば、カネの蛇口締めれば容易に崩壊。
クモの子蹴散らしたその後は、光背で地ならし。
昔も今も同じ。「知の進歩」など悪しき冗句。
全体性を回復するしかない。自分自身の。疲れる話だが。