「天国と地獄(HIGH&LOW)」

(初出 8/10/2006)


 何年か前、子の引越しの手伝いで本物の「山の手」に行った。その界隈は一葉、漱石文人の住む街だったと聞いた。



 収納が足りないというので、私は表通りにたん笥を買いに行った。見つけた小さな家具店の主は、客と親しげに話をしていた。大学の先生風の紳士の客だった。



 ずい分と長話だった。にこやかに客を送るのを待って、ようやく私は声をかけ、小さな合板たん笥の値段を聞いた。すると主は打って変わって、仏頂面を私に向け、風体をじろりと眺めてからようやく値を言った。腹は立ったが他に店はない。仕方なしにたん笥は買った。「今時田舎にだってねえぞ、こんな店…」。作業衣姿の私は、店を出ながらつぶやいた。



 その日、一緒に来ていた妻も、同じ目に遭った。よく似た姿で郵便局に、金を引き出しに行った時だ。きれいな身なりの初老の婦人が、いかにも汚いものを見る様子で、つま先から頭の天辺までなめ回すように見ていったとか。



 「ほんとにびっくりした。失礼しちゃう」。この種のことにはてん淡とした妻が言うのだから、余程のものだったんだろう。



 そう言えば誰かも「山の手老人」とかの題名で、よく似た話を綴っていた。「この坂から上が山の手。向こう側は…」と、見下ろす巷を蔑んで言う老人達の話だ。私達の体験は、偶然ではなかったのだろう。



 



 この経験で気付いたことがあった。「彼の気性は、こういうところからも来たんだろうな…」。



 「彼」とは、私の師匠ともいえる人だった。関西のカメラマン時代、私がただ一人、敬意を抱いた人物だ。私より20近く年上の、ニュース映画社の出という彼は、人一倍の努力家だった。努力で得たものを根拠に、誰とでも歯に衣着せずに渡り合った。だから嫌われ孤立した。だが私は、仕事に関する彼の発言の公正さと、それを生み出す情熱にひかれた。時には異常とも見える情熱の中に、得体の知れない悲しみさえ感じることがあった。それが子供の頃の何かに由来するらしいことは、その頃の私にも分かった。



 ある泊まり番の夜、彼は自分の生い立ちを私に言った。彼が育ったのは、この山の手下の、低地の街だった。



 社員、下請け、孫請け。記者、カメラマン、助手、アルバイト。この複雑な職場の中で、こと仕事に関して、なぜ彼が立場を問わない公正さにこだわったのか、実力にこだわったのか、努力にこだわったのか。それが唯一の自己証明であるかのように―。そのことが、数十年ぶりに訪れた山の手なる街を見て、改めて分かる気がした。そしてこの古臭い街は、紛れもなく東京の一つの原点であり、私の田舎と表裏をなす、ある精神風土の一端でもあると感じたのである。