助手達(初出 8/11/2006)

 私が関西でカメラマンになった頃、助手達にはへんな奴がいた。曾我廼家五郎八のような、この頃ではミスターおくれのような、いつもぼーっと突っ立ってる男がいた。私と同年で、最初はまるで言うことを聞かなかった奴もいた。どちらもそれぞれ一家言あった。



 言うことを聞かない奴は、ある時から私と仕事をするようになった。こちらが陰口、告げ口の輩ではないのを悟ったのと、仕事へのそれなりの意思を感じたからだろう。



 曾我廼家五郎八も、とぼけた男だった。時々ぼそっと嫌味を言う癖があったが、それなりに的を得ていた。まあいいかと思わせるところがあった。どちらも彼らなりの視野と、人との間合いを持ち合わせていた。



 彼らはまた、あの職人カメラマンの良さを知っていた。叱られても怒鳴られても、狭量とも見える言葉のつぶてにさらされても、怖れとは別のところで受け入れていた。



 この職場に七年。人の変化と技術革新の中、個人の技量や度量の世界は確実に狭まっていった。そして私はそこを辞めた。だが組織的なものとは別のこの種の経験は、今も私の中で生きている。個人の仁義。ご大層なものではない。親や大人の介入を潔しとしない、少年の世界のようなものだ。