男と女 (三)

           (初出 12/12/2006)


  女はたいてい、かわいいものとして男の前に現れる。



 男はたいてい、ほだされ結婚する。護ろうと。



 やがて男は、女が数倍したたかで、生命力に満ちていることに気が付く。



 それは大概の場合、女が母となってからだ。



 それは多分、地上の生命の歴史が与えたものなのだ。



 男はやがて気付くだろう。



 嵐のようなエゴイズム…。そう男に見えるものは、子孫を残す営みに組み込まれた本性なのだと。



 女は生身の体で、生身のヒトを育てる。女は子の一声で目を覚ます。男が高いびきの時も。



 オスは消えても、メスが残れば最低限子は育つ。



 オスの役割は? 巣で待つ子らにメス鳥に、できるだけ不安を抱かせずに餌を運ぶこと。自分を無にすること。それが世代の真っ当な更新作業なのだ。



 自分を無に? 屈することではない。



 有なる自分を捨てること。家庭を手段として消費する、社会の価値にまみれた自分を捨てることだ。



 ならば見えて来るだろう。育む場での男の役割が。



 そうすれば男は、しばしば芽生える女の生命力の勇み足も、埋め合わすことができる。そして生命力と、無への道を備えた次代を育てることができる。