結果だけ見て人と関わろうとすると、東京人になる。
 結果だけ戴こうとすると、東京人だ。


 組織に乗っかる。
 組織の基盤形成する生身のヒトを避けたまま、見下したまま、月々の給金だけ戴こうと、科挙の名のエセ競争に人生をかける。


 俺は散々見てきた。煮え湯飲まされてきた、この手の東京人共に。


 会社、労組、生協、学生運動。この頃じゃNPO、○○審議委員なんて、体のいい隠れ蓑。お手盛りの事務局作り、善意の者達のなけなしの金かき集め、「東京レベル」の賃金暮らし。昔の軍隊だってそうだろう。主計局なんて、エリート武官=ズルシャモ東京人共の巣だったはず。吹き飛ばされて死んだのは、大半が馬鹿正直、間抜けな田舎もん。パクられたのは田舎出の学生だけだったのと、まるで同じ。接待漬けの役人がゴロゴロ出ても、一体誰が驚くのか。


 口先民主。聞いた風の人生批評で、口開けて聴く田舎もんたぶらかす。たまたま本気の田舎もんが出ると、身をひるがえして体制側に。


 東京は人の情忘れ、ひたすら組織に乗っかる人間作りの、身も心もがらんどうの街。明治以来の、腐った科挙の仕組みが作った腐れ者共の街。


 知識は元々、自分の馬鹿さを知るための学。そいつ無くしたら、文系なんてとりわけ有害無益、思い上がり共の搾取の学だ。


 ジョシ大出たら私はエリートの馬鹿な母ちゃん。手に汗避ける金玉梨男、ごっつぁん体質染み込んだ父ちゃん。こんな奴らに育てられりゃ、科挙の結果は自分の利権と信じて疑わぬ馬鹿息子共が輩出するのは、当たり前。


 エリートは、民衆の思い反映する必要悪。この手の虚構すら忘れ果てた豚共の街。公家根性と、上昇志向・おのぼりの田舎もん共がつるんで作った空っぽの街。