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14年ほど前だったか。隣県の山村へ行った時のこと。ある施設の担当者が、国営放送が取材に来た時のことを話した。
「あの人達、巻尺とストップウォッチで測るんですよ。撮影する場所を」
多分、中継か何かだったんだろう。場所から場所へのカメラの移動時間と距離のことだ。
国営放送の中継が面白くねえ訳が、よく分かった気がした。
中継なんてのは、大体の感覚で時間を測っといて、エイヤッでやるのが正解だ。デジタルじゃねえ、体感のアナログと度胸で。尻切れトンボの所が出たって、その方が間違いなく面白い。
インタビューだって自分のしゃべりだって、おおよその想定だけして、後はその場の雰囲気で流すのが、見ていて新鮮だし面白いに決まってる。
こういうことが、分かっててもできねえ。そういう組織なんだろう。
その5年ほど前だったか。俺の田舎の国営放送で、長いこと撮影助手をやってる奴に出会った。
「転勤で、腰掛け程度にやって来る奴らとやってても、得るものねえぜ」
そう言って、面接だけでも受けてみろやと、その頃付き合いのあった田舎プロダクションを紹介した。だが約束の日になっても、そいつは現れなかった。
来なくて正解だろう。田舎プロと言ったって、対当たりでやらなきゃ務まらねえところはある。下請け、孫請け、アルバイトでも、国営ならば持ち上げられることはある。田舎じゃ。
職員なる者達の慇懃無礼さ、バイトの姉ちゃんの高慢ちきさに閉口したのも、その頃だ。袖擦り合う程度の縁だったが。
国営で、長年守衛だか運転手だかやってた親父がいた。
親父は、職員なる男におだてられたとか。退職金注ぎ込みプロダクション作った。85年頃だったか。
殿様商法しか知らねえ親父のプロは、すぐに行き詰った。当てにしてた国営からの仕事なんか、あるはずもなかった。この手の中央集中の官僚組織にゃ、ド田舎のちっぽけなプロを育てる手ずるなんかある訳がない。ええ格好しいに乗せられた親父が悪いさ。
ある時親父は、おだてた職員が舞い戻ってた渋谷に出向いた。わらをもつかむ思いだったんだろう。
この時は、たまたま俺も同行した。制作上で付き合ってた親父と、一緒に営業回りする所があったのだ。
案の定というか、職員なる男は現れなかった。連絡しといたが…と親父。雲隠れに決まってるじゃねえか。
親父のプロは、間もなく潰れた。残ったのは借金とポンコツ車だけだった。「親父、汗の匂いのねえ口先プランにゃ気を付けなよ…」。そんな言葉は右から左の報いだぜ、悪りいけど。
田舎者の「人のよさ」はおしなべてこんなもんだ、いまだに。