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テレビは、面白くねえ。
ニュースもドキュメントもドラマも。
トレンディドラマなんてのは、とりわけ。
理由ははっきりしてる。
お仲間達の物作りだから。
踏ん張る奴がいねえのだ。
「ここは、もうちょっとこうしねえと…」
踏ん張りの根拠は、そいつの孤独だ。
もうちょい正確にいえば、そいつが抱える、言葉にし難い思いだ。
こいつが具象化した時、新鮮さは生まれる。共感も生まれる。
人は誰もが、言うに言われぬ孤独と寂しさを抱えてる。
そいつに触れるのだ。そこから生まれる何かに。お笑いのたぐいでもだ。無意識の内に、作り手の思いに共鳴する。
テレビは無理だ。孤独を蹴散らすのがテレビだからだ。
孤独は一人ひとりの存在に踏み込む。
否応なく、胸に手当てなきゃねらねえ状況を作る。作る者達に。
だから無理だ。
こいつから逃げる者達、こいつに触られちゃ不都合な者達の寄せ集めがテレビだからだ。
テレビに限った話じゃねえのは、その後も散々見てきた。
ソシキ社会という奴。身も心も組織で編み上げられた者達。
真っ当に物を作る者達が実存を、自由を望むのは偶然じゃねえ。
口先じゃねえ、自前の孤独のトンネルの中でつかみ出す自由、実存。
こいつは根無し草にゃならねえ。人の孤独に共鳴するの一点で。