頭に来ねえ俺が、俺を救う。


 こいつは俺の人生の、二十歳の頃からの主題だった。というより、一〜三歳の頃からの主題だった。

 意識が心に芽生えた頃からの。



 ヒトはそのための格闘を、ヘタすりゃ死ぬまで続けることになる。


 先日も馬鹿なことしちまったなと思い、またしても肝に銘じた。

 頭に来るな。こいつは死ぬまで続けろや。


 頭に来ねえ俺は、俺の側にいる俺だ。

 頭に来る俺は、あちら側と同じ土俵の俺だ。

 社会、他人、共同主観・共同幻想等々に載せられた俺。俺とは言えねえ括弧付きの「俺」。


 あちら側の俺を眺めてる俺。

 こいつが自在にできねえと、まともな仕事も人生も無理だ。


 こいつは社会という他人の家の入口に立った時、いとも容易に身に付く力だと思ってる。

 一〜三歳の餓鬼の頃、たまたま運よく親が真っ当ならば。


 ほとんどの奴は運が悪いから、その後苦しむことになる。

 俺もそうだった。上の子もそうだった。下の子はたまたま良い条件に出くわして、こちら側の自分を持ったらしい。たまたまの僥倖なんて、親の俺が抜けぬけ言える話じゃねえ。


 運の悪さは、自分で乗り越えるしかねえ。

 世代の更新。こいつに進歩があるとしたら、これしかねえと俺は思ってる。


 ※ 先日こんな投書が、『市民新聞』というミニコミ的新聞に載ってた。投書欄の編集人も感じたんだろう。普通の投書の3、4倍のスペース割いて載せてた。多分全文だろう。



 かつて息子の担任だった男性の壱先生が今春、逝かれた。辛い思い出がよみがえってきます。


 息子が小学校4年の授業参観日のことです。都合で行けず、ある母親から「先生と息子との関係がおかしいよ」との話を聞きました。順番に指名してきても息子は必ず外されているとのこと。以前から気になっていたとのこと。


 当日は多数の父母の見ている中、当然のごとく指名されず前の人から後ろの人へと進んでいったそうです。4年生の息子は体を小さく丸め後ろから見ても分かるように体を小刻みに震わせ手を強く握り締めていたそうです。翌日学校に行き、先生に話をしましたが取り合ってくれませんでした。


 息子はいわゆる「できる子」で、質問に対し必要以上の回答をしていたようです。それが原因だったのか…。


 その後彼は「ばかな子」に変身しました。居場所を求め指名されない「ひょうきんな子」になり、面白い「からかいの対象者」になりました。


 ある日学校へ行くと、女の先生から「○○君のお父さんですか。何であんなにひょうきんなんですか」と笑われました。ばかな親は子どもの異変に気が付いておりませんでした。


 中学では一変「まじめな生徒」に変身しました。先生からは小学校からの内申の違いに戸惑ったと後日聞かされました。成績は良く、高校へは自己採点で500点満点で合格しました。


 その頑張りも限界に近づいておりました。「ばかな子」にもなれず、「良い子」にもなれず偽りの自分に疲れていきました。大学入試に失敗すると、それが引き金となりついに心の病になってしまいました。それから今日まで苦しみの連続です。


 老先生に相談をしたが何の返事もくれませんでした。80数歳で逝かれましたが。普通の社会生活はできるようになったものの、息子や親はいまだ長い暗いトンネルから抜け切っておれずにおります。

                                                  (男・61歳)




親父の気持ちはよく分かる。子の気持ちもよく分かる。


 中原中也は詩で、こんなこと書いてた。記憶だけだから不正確だ。




 小学校の音楽の時間にあ〜え〜う〜。

 なぜだか知らんが、可笑しくなって俺は笑った。

 担任の女教師は、烈火のごとく怒って俺を廊下に立たせた。

 以来、俺の人生の不幸は始まった…。


 学校というあちら側(精神の監獄)が続く限り、この手の不幸は続く。

 こいつを自分の範囲で回避するには、進歩するしかねえ。世代を更新するごとに。こちら側が。


 投書の親父も苦しんでるだろう。息子も苦しんでるだろう。


 生身の魂傷つけ、知らんぷりし、「自分」を考えることから死ぬまで逃げ続け、豚のごとく眠ったまま地獄へ行く、あちら側の番犬の「善人」共。

 こいつらへの最大の復讐は、こちら側が進歩を遂げることだ。