「インサイダー」てなもんで、誰がいってえ驚くってのか。

 そういう街じゃねえか。東京ってのは。


 お仲間同士の耳打ち話がステータスの、利権の街。

 学歴がすべて。コネがすべて。そこと結ぶ序列がすべての、腐れの街。

 既得権はちゃっかり確保。「再挑戦」なんぞ口先だけの偽善の街(挑戦なんかしたことねえ奴らに、言われたくねえぜ)。

 「異端」の力は、奇麗事のオブラートで体よく排除の宦官の街。


 労働ってもんの存在しねえ街。存在できねえ街。


 労働ってなんだい? 労働者ってなんだい?

 もの生むこと、もの生む人のことだぜ。

 言われた分だけハイってやることじゃねえぜ。

 近視眼で小ずるく立ち回ることじゃねえぜ。

 損得ばかり嗅ぎ分けて、ニンゲン素通りのことじゃねえぜ。

 糞田舎からのお昇りの“根っこの会”みてえに、出世意識の卑屈仕事じゃねえぜ。


 腐った殻解体し、自分を蘇生、再生産するってことだぜ。


 マルクスの労働はそうだぜ。若けえうちに凝り固まったんで、あさっての方角に話行っちまったけど。

 暮らしが基盤の労働者運動ってのはそうだぜ。政治性が売りの、ええかっこしいの戦闘性だけ売りの、裏返しの権威はびこるこのクニにゃ、ついぞ根付かなかったけど(その昔のガクセイ運動もその程度ってのに気付く奴は、果たして何人いるんかな)。

 労働ってのは発見なんだぜ。てめえ自身の。アインシュタインコペルニクスガリレオのたぐいと、本質的にゃ変らねんだぜ。


 人と社会が真っ当に蘇生するのは、共和制の真髄が骨身に沁みるのは、糞の街の解体以後だ。