そうさ。思想はペストさ。当たりめえじゃねえか。


 机の端の印肉の中に、押入れの隅っこに潜んで、ある日突如暴れ出す。

 孤独の種ってことさ。多数決じゃねえってことさ。それが思想。



 「上昇しちまった庶民」って奴で、思い出したんさ。

 この手の奴ら見て転んだ吉本ってのも、所詮思想は多数決。

 本売れなくなったってだけだろ? 首都圏界隈で。


 私ゃ売文家、なんて開き直ったって駄目さ。

 「思想の本質」吹聴しといて、売文家とはお笑い。


 思想は、決定的に暮らしとつながってる。こいつつかみ出すのが思想だ。

 こいつはほんと、闘いだ。自分との。自分取り巻くあらゆる係累との。


 このプロセスじゃ、飯食えなくなるこたぁあるさ。

 食えなくなったから、売文成り立たなくなったから、転んでいいって話じゃねえだろ? それが思想に素直、思想の本質の暮らしに素直ってことじゃねえだろ?


 肥え桶担ぎやったって、飲み屋の呼び込みやったって構わねえ。一先ずしのいで思い続ける。それが思想ってもんじゃあねえかい。嫁さん、子供にせっつかれながら。そこの踏ん張りが暮らしってもんじゃあねえのかい?


 孤立無援の無手勝流の中でも、胸に手ぇ当て考え続けるだけのもんがあるんか? あると思えばやるしかねえ。それが思想だろ? 職人仕事だろ?


 仕組みの中の者達とのお付き合い。馴れ合いの実入り。そんなもんに根ざすのが「暮らしの思想」じゃねえだろよ。


 ペストだぜ。思想って奴は。