若い頃の吉本隆明にゃ真っ当な勘、または体感があった。


 その一つが中野重治の小説『村の家』の感想だ。俺の記憶だけの記述だが、そのまま書く。


 特高にパクられ、左翼から転向して北陸の田舎に戻った主人公(多分中野自身)に、郷里の村の家に住む父親は言った。「十年は沈黙しろ」。だが主人公は、それが出来なかった。俺はこの父親の言葉の意味に注目する。


 こんなことを吉本は言ってた。親父の言葉の意味。そのことが大事だったと。


 1960年代から70年代初頭にかけ、吉本が学生達を惹きつけたのは、こんな記述の部分だった。そこには吉本の体感があり、吉本の体感を通じて垣間見る、ムラ(一種のトータルな世界)に暮らす者の体感があった。

 当時の学生達、とりわけ田舎出の学生達は、こうしたものを思想として汲み取ることのできる吉本に惹かれた。それは吉本自身が、都会のインテリには稀な「体感とその源の暮らしの身体」を備えた男だったからだと思う。

 (続く)