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朝っぱらから、村下孝蔵聴いて仕事の準備。
村下ってのは、職人だったんだろ。生きてた時のことは知らねえが。
歌聴くと何故かやっぱり、ちばあきおって漫画家思い出す。
『キャプテン』とか『プレイボール』描いてた漫画家。
ちばの方は、どっかええかっこしいだった気もする。よく似てると感じるのは、律儀過ぎるほど律儀だったんじゃねえかってとこ。
引き受けりゃ、気持ち入れ込む。入れ込み過ぎる。商業主義の枠の中、自分はそっからはみ出して。大抵命縮める。古今変わらねえ気がする。
昔、文芸評論家が言ってた。「作るってのは絞り出すこと。だから英語はexpression」。当たっちゃいる。教養に居座った面思い出しゃ、腹立つが。
体絞って生む。こいつは職人の否応ねえ性・宿命みてえなもんだ。七転八倒首吊るか、血管切れて死ぬか。同じことだ。
ぶくぶく太っちまうんだってそうさ。自分ひっぱたいて突っ走るにゃ、食うのが一番。でなけりゃクスリか酒。自然のパワー低下する二十代後半、三十過ぎからは特に。
命にとっちゃ、ろくな結果にゃならねえ。
こんなことまで飲み込んでる編集屋、企画屋etc.まず絶対いねえ。岡の上の人種がありつく仕事に。
仲間と称する者達も、大抵そんなもんだろ。
それでも手探り、先に行こうってのが職人。推奨できる話じゃねえ。わが胸に手え当て、それでもと思ったらやるぐらいのもん。
ほんまもんは、そっからじゃなきゃ絶対生まれねえってのは事実だ。死ぬとこまで行くこたあねえ。だがこの種の経験は必須。人生最低一度は。でなけりゃニンゲン、絶対先にゃ進まねえ。俺がひとり言する共和制含めて。
職人列伝ってのは、俺が直に知ってる人間書く場なので、これは番外編。