(初出 09/15/2006 やめちまった所より)


 人が喜んでくれる。誰かがきっと見ていてくれる。人のため、世のため。



 この感覚は自分を誤る。



 人は自分のために生きる。自分の世界のために。無意識も含めた自分のため。体感のため。



 頭が勝手に動き出す前に、他人にかき回される前に、ぼ〜っと感じる自分の感じ。この感じが大事だ。感じの世界を持続する。ぼ〜っとしたものを持って生きる。鈍牛でいい。切れ者のまねなんか駄目。 



 「上人は自分のために為し、中人は人のために為す」はこのこと。上中下など、どうでもいいけど。



 自分に徹し、自分の感覚に徹し。そこで生まるものが本物だ。職人も、ネジ1本の開発に目を輝かす町工場の親父も、皆やってる。人のためなんて言わないさ、商売上の言葉のあやでしか。



 人が喜ぶ。そう思ったとたん、自分の世界は崩れる。人は狡猾。人は、相手の力の全的開示など求めない。都合のいい部分しか。使い倒されるだけ。道を説く坊主、センセイ然り。



 生き方の真の同志は、全的開示から何かを感じ取る者だけ。子供。家族。黙って闘う者。敵でも。ニコニコの者達は、まず間違いなくいいとこ取りの者。