俺は、戦後の民主の喪失といえば、当面は教育基本法の改悪と相続税の緩和だと思ってる。

 法も社会も面白えもんで、ばらばら別々に動いてるようで、ぼ〜っとした所でつながってる。ぼ〜っとして見りゃ、そいつはよく分かる。


 どうぼ〜っとつながってるか。現状それは、手に汗することねえ二世三世の感性ってことだと思う。


 感性ってやつは、ぼ〜っとしてる。なので言い方、立ち回り方じゃ幾らもごまかし利く。論理理性なんぞより遥かに奥深い所で人や社会動かしちまう。この手のコツ心得た奴にゃ、口角泡吹いて正しさ言う運動(知)なんぞ、ちっとも怖くねえ。人間、誰しも根っこの所じゃ、ぼ〜っとした世界に棹(さお)さしてるからだ。肝心かなめの土壇場じゃ、君子市民するり豹変。当たりめえの話なのだ。


 俺が暮らしの感性ってこというのは、こいつ思うからだ。真っ当な感性じゃなきゃ駄目なのだ。真っ当に働く者の。青年マルクスが予感したような。


 保守って奴は馬鹿になれる。このクニは残念だが、馬鹿になれる奴は保守の側しかいねえ。だから永遠に保守の天下。ヒトの下部構造握ってるってこと。


 民主含む移入思想は、なぜか全部上部構造(知)の側に。なぜか地下にゃ滲み込まねえ。そんなこたあねえぜ。あちらの生身のヒトが感じたものが、生身に感性に伝わらねえ訳はねえ。生身のヒトが作ったもんならば。


 だがこのクニじゃなぜかそうなる。いつもそうなる。こいつの詐術に気付いたのは、維新の頃は西郷さん。戦後は自覚的にゃ、多分吉本隆明だけだろう。吉本も、学生相手の善きあんちゃんで終わっちまった。それだけだって有り難え話だが。今となりゃ。


 話戻す。教育基本法の改悪と相続税緩和が、なぜ二世三世の感性かって? 後者については言わずもがな。前者も分かりやすい話だけど、一応言う。形が欲しいのだ。二世三世は。自分の中に湧くものねえから。


 問題なのは、世間知らず汗知らずのボクちゃん政治家よりも、ボクちゃん感性とあうんでつるむ「世間」の方だ。2002年頃だったか。自由経済規制緩和とやらのコイズミが、息子芸能界に送り込んでヘラヘラ笑ってるの見て、俺はあ然とした。自由の何たるか、アタマだけでも分かってりゃ、上っ面、見せかけだけでも怒鳴ったろう。馬鹿息子。てめえの力で這いあがれや。手に汗の仕事しろいと。テレビが撮ってるんだからね。


 実は世間は自由よりも、セレブ、七光りの方に惹かれたんだろ。まやかしコイズミも百も承知だったんだろ。進歩装う保守反動。小泉改革のまやかしは、ここに全部出てた。支持する者達の性根含め。汗して手にする利潤肯定じゃない、金持ち肯定。


 児孫のために美田残さず。これは西郷さんが言ったことだ。昔、親父は俺に何度も言った。尻引っ叩いて勉強させるために。親父の動機は見栄体裁だったから、言葉は子にはちっとも沁み入らなかった。


 娑婆に出て、西郷さん知ってよく分かった。西郷さんの言う意味が。


 子はかわいいさ。だが汗しねえものはニンゲン駄目にする。こいつは骨身に沁みて分かる。だから人性に反するやせ我慢だが、このやせ我慢は必要だ。


 親はふところに金そっと隠し、子が本当に困った時だけ、折り見て出せばいい。俺は貧乏人だから出しようねえが、有ってもそうするだろう。子の存続、真っ当な家庭の存続のために。嫌でも身に付く習性だ。真っ当な勤労の精神なら。


 労働がヒトを作るってのは本当だ。マルクスが予感した労働者ってのは、こういうもんだったと俺は思ってる。トータルな、感性軸の職人労働。その世界からおのずと生まれる思いや生き方。そいつが人の道、倫理や仁義等々に言語化されるだけなのだ。「疎外」なんてのは、実によく分かる感覚だ。本気で働く奴ならば、誰に教えてもわらんでも。


 俺はプロテスタンティズムなんてのは知らねえ。資本主義の精神なんてのも知らねえ。だが、働く中で、必死で何かに打ち込む中で、生き方含めて何かつかむもんだってのは分かる。寝食惜しまずって意味も、我慢って意味も。上っ面の本性(欲望怠惰)に打ち勝つストイシズム。こいつは確かに存在する。


 こういう中からは、いろんなもんが湧く。湧いた思いで感性で組み立てるのが大事なのは、物質作りも思想作りも少しも変わらねえと感じてる。


 二世三世の感性。停滞の保守、真の意味の守旧の怨望。こいつに打ち勝つのは、どっかの孫引きに過ぎねえミンシュの言葉の羅列じゃねえさ。口先・特権打ち捨てて、真っ当に汗流すとこからじゃなきゃ、何も始まらねえ。何も伝わらねえ。家族にさえも。


 真っ当な感性は、思想は、ここを起点にするしかねえ。どんなに道遠しでもだ。