俺はずい分しんどい思いもした。結婚って奴で。

 「首に漬物石ぶら下げて歩くようなもんだ」と言ってた奴が昔いたけど、まるでその通りだった。

 それは女の今への、暮らしへの執着のせい。子供のため、子育てのための天賦。早ええ話、本能。


 この歳になりゃはっきり分かる。ヒトの契約の基本はここだってこと。

 女のこの本能を、男が無条件で護る。こいつが結婚。

 そのためにゃ、極楽トンボやめるしかねえってことはある。湧き上がる怒り、腹に収めるしかねえってことはある。


 男がほんとに自分作るのは、この中でしかねえと俺は思ってる。

 本当の闘争は、自分とのほんまもんの闘いは、こっから始まるのだ。

 青春の、青年の青臭せえ夢が試されるのも、意欲情熱の本物性が試されるのも、革命の願望の正体が試されるのも、全部この中だと俺は思ってる。


 このクニで、娑婆に出てから少しでも通用する左翼思想は、吉本隆明ただ一人だった。1960年以降は(ひょっとしたらその前もだけどね)。後は全部脳内革命。蛇口ひねりゃゼニこぼれ出る特権市民、インテリの。


 「右翼」思想? 西郷さん一人さ。右翼の思想なんてのは、左翼以上に暮らしの格闘のねえ、ものもらい根性。勇ましがるだけ。がなるだけ。何んかの手のひらに載っかるだけ。勇ましいなら働けや。見栄体裁の鉢巻き捨てて。


 吉本の思想の核は、大衆の原像だ。吉本は、大衆の暮らしの意味予感した。青年マルクスが真っ当な労働者予感したように。根っこは一緒だった。ずっこけたのも一緒だった。予感で終わっちまったの一点で。こいつで思想構築しなかったの一点で。


 マルクスの早とちりは、早漏の青年労働者に話持ってっちまったとこだ。家族抱えた職人労働。ギルドの昔からの職人労働。そっから生まれた生活労働者運動。もちっと感じときゃ良かったなと、今思う。


 闘争性、政治性に傾いたせいさ。「実効性」無きゃ空しい? ほんとかどうか知らねえが、子供餓死させちゃいけねえぜ。その種の狂気の一徹性は、思想に嫌でも沁み込む。


 思想の実効性の本質。こいつは政治の早漏的実効性じゃ絶対ねえ。何代かけても築き上げる、宗教と同じとこにあると俺は思ってる。実生活でできねえことがなるなってば、よく分かる。暮らし装い現れる「福祉の思想」だって一緒さ。


 今畜生と思いつつ、嫁さん子供の顔浮かぶ。あんた稼ぎもないくせして、何粋がってんの? この一言で全部消し飛ぶ。消し飛んだとこから始まるってことさ。それでも気持ちに残るもん。そいつ大事に。


 吉本は馬鹿学生に予感させた。予感しねえ馬鹿は、石ころ投げの自慢話で終わった。その後の永え人生を。予感させるのは大事さ。そっから先はどっちみち、てめえで背負い込むしかねえのだ。吉本さんになんざお伺い立てねえで。


 一つ気ぃつけなきゃいけねのは、女の暮らしの執着は、上昇志向と癒着しやすいとこだ。箸にも棒にもかからなくなる。男が思想のホンモノ性試されるのも、ここさ。母ちゃんに居心地よくなびくか。馬鹿にもせずに踏ん張るか。子のために。観念思想の落とし穴=真っ当思想の糸口は、暮らしのどこにも転がってるぜ。