ヒトの根本は家族だってのは、真っ当な宗教が必ず根っこに持ってるもんだ。


 真っ当な宗教? あるさ。影絵見せといて、それとなく実体(自分)感じさせてくれる宗教。ヒトの心の弱さ呑み込んで、極力付け込まねえ配慮ある宗教。


 仏教にもよさはある。キリスト教にだってあるさ。色んな宗派はあるにしてもだ。


 真っ当じゃねえ宗教? 宗教・教祖と家族切り離そうとする奴だ。実態はオットセイのハーレムだったオウムなんか分かりやすいだろ。ぽつんと立つ田舎のお社じゃない、国家神道だってそうさ。家族の心性から引っぺがしたがる。靖国見りゃよく分かるだろ。


 色んな事件起きる時思うもの。昔の学生運動とやら振り返り思うもの。仕事で出くわした嫌なニンゲン関係思い出して思うもの。それは家族、家庭の大切さだ。それは相手のことであり、自分のことであり。


 俺は色んな事件事象の根っこは、子の意識無意識を構築する家族にあると感じてる。それは自分振り返って、自分の兄弟振り返って、自分の子振り返って思うことだ。根っこを握る父親母親。社会他人なんてのは、そこで育った心性増幅させる程度のもんだと思ってる。


 親は子に対して無限責任ってのは、この実感からだ。テレビに出てきて申し訳ありませんでしたって話じゃねえぜ。テレビもポリも突き飛ばして監獄に飛び込んで、子供抱きしめろって話さ。なりふり構わねえで。アカの他人が今更と言おうが、子がつばき吐きかけようが。


 アメリカ合衆国ってのは、国家に過ぎねえ。一つ違うのは、家族は大事ってはっきり言うところだ。国家レベルで。まやかしは当然あるさ。世界の正義って面下げて、その実「GOD BLESS AMERICA」ってのと同じ構造の。だが矛盾撞着承知の上で、腹決めて言い切る強さはある。この強さは大事だ。怖れて何も言わねえ性根と比べりゃ、よく分かるだろ。言っちまえばやるしかなくなるのだ。感じたもんに向かって。こけようが、つばき吐かれようが。


 戦後の青空の本質は、ここだったと思ってる。もらいもんだろうが何だろうが、いいものはいいのだ。いいと感じる心が大事なのだ。感じたものは、もらいもんでも何でもねえ。実体だ。こいつ伸ばしゃいいだけなのだ。あら探しして潰しちまわねえで。その昔のアタマいい左翼共のように。


 ニッポン人は愛が分からぬと言って、旦那と一緒、権威とつるんで教化したがる女作家の婆あもいたが、分からねえのはおめえの方さ。あるもん引き出せねえ、無能な自分に説教しろや。あるもんは、説教されなくったってある。そいつ引き出す根源は、家族なのだ。暮らしそのものなのだ。こいつは普遍、インターナショナル、古今東西永久に変わらねえ。人類続けばの話だけどね。


 戦後の民主憲法ってやつは、福沢の持ち込んだ啓蒙思想と同じと思ってる。持ち込んだ奴の性根がどうでも、いいと感じたのだ。自前の心、感性で。人民大衆の側が。この心情、この感性。こいつの流れでよさ引き伸ばしゃ、いいだけなのだ。敗戦の青空の下、家族と一緒、友達と一緒、底抜けの笑顔だったとこに立ち返って。カビ臭せえ引き出し開けりゃ、必ずあるさ。どこにだって。


自分に立ち戻るってことさ。簡単なことだ。怒りの矛先自分にも向ける。ちょっとした度胸ありゃできる話さ。いっ時、貧乏こくことあってもだ。