おめえに子供が出来たんだって? 生まれるのはまだ先だけど。

 大事に育てろや。子供ってのは、ふにゅふにゅふわふわの風船みてえなもんだ。

 あったかさ吹き込めば、無方向の愛情吹き込めば、どんどん膨れる。


 俺は、おめえにゃ愛情吹き込めた。俺なりにだが。それはおめえがあまりにはかないと、俺にゃ思えたからだ。思う機会があったからだ。俺のドジのせいで。

 壊しちゃならねえ。何としても。それだけで育てた。


 草野球散々やったのも、昔懐かしい二十数巻の漫画、おめえ連れて古本屋。財布はたいて買ったのも、共に野宿したのも、度胸試しで一緒にお墓覗いたのも、算数見てやったのも、漢字見てやったのも、伸び伸び育ってくれりゃそれでいい。それだけの気持ちだった。そしていつしか、いつの間にか、おめえは一人で歩き出した。


 俺の落ち度は、俺の痛恨は、姉ちゃんにそうしてやれなかったことだ。生まれついて元気過ぎた、丈夫過ぎた、賢過ぎた姉ちゃんに。若さと馬鹿さと怒りと混乱のただ中で。


 嫁さん子供抱えて、おめえも苦労するだろう。生活的、経済的にゃ俺のようなドジはねえだろけど。


 一つだけ俺は言いてえことがある。どんなに忙しくたって、子は育てろや。母ちゃんに任せっ放しにしちまわねえで。男の領分ってのは、男の子育てってのは絶対にある。


 無伝えられるのは、無の何たるか伝えられるのは、やっぱり男だ。豊穣の無。力に、情熱に満ちた無。無の中に、真空中に満たされたエネルギー。


 女はどこまで行っても有だ。それが女の本性だ。何としても子産み、生身の体で何としても子育てる。生命的、生物学的事実に源する有。


 

 女の有は時に暴走する。こいつ押さえられるのは、男の無だ。無心の無。無心の心膨らませる無。こいつが無きゃ、男の取り得は存在しねえ。


 喧嘩するってことじゃねえぜ。軽蔑するってことじゃねえぜ。母ちゃんを。女を。女はそういうもん、男はそういうもん。それで家族は出来上がってると俺は思ってる。女は女、男は男と、男の本性まっとう全うすりゃいいってだけの話。


 無は家族のために使えや。間違っても、見せかけの無になんか巻き込まれちゃいけねえぜ。子供のために。嫁さんのために。