俺のような田舎もんが、かつて必ず出くわした関門。(今だってそうなんだけどね、ほんとは。)それが知なるもんの構造だ。


 この国じゃ知は古代の昔から、田んぼの真ん中に突然おっ建って、でけえ面して行き先命令する赤信号機みてえなもんだった。


 民草は、力とつるんだ信号機の命令黙って聞いた。あほかと思いつつ。まあしょうがねえかと思いつつ。一先ずその日暮らすために。


 農民のニヒリズム。権威とつるんだ知の側は、聞いた振りしてぼけかます暮らしの意識をこう呼んだ。つるむ権威権力が天皇家でもマルクス家でも、呼び方見方は一緒だった。


 この国もやがてゼニの社会に。貨幣が物神となって、表社会に躍り出る時代。いわゆる近代って奴さ。


 ヒトはゼニにゃ弱い。ぼけかましてた民百姓も、暮らしの魂売り渡して物神に、物神とつるんだ知に尻尾振る者続出。鼻利く国家は当然のこと、民百姓のすけべ根性利用して、近代化のクニに役立つ「優秀」な者一本釣りした。そいつが教育なるもんのピラミッドさ。同じ根持つ知のピラミッドさ。今じゃ社会そのもののピラミッドさ。きわめて単純。シンプル・イズ・ベスト。このシンプルに人はころっと騙される。騙され続ける。騙されたフリし続ける。暮らしのためじゃない。ゼニのために。その証拠に、こいつとつるむ者達の暮らしは必ず崩壊する。こいつは、歴史が今が証明してる。


 暮らしのためとゼニ(上昇)のため。この似て非なるもんの矛盾に身悶えするのが、真っ当な若さだ。ヘンなもんに汚染されねえ、本能嗅覚組み込んだ若さ。この爆発はいつの時代もある。


 カビ臭い田舎資料ほじって感知した範囲で言や、以下の奴等が若さの事例。幕末維新の下級幕臣、下級田舎武士。初期民権の人民。戦時下、配属将校に逆らって激戦の死地に送られ、目論見通り殺された学生。敗戦間近、動員先で反乱起こした旧制中のガキ達。怒りの流れ真っ当に汲んだ、新制高校初期自治会の高校生。奴等はその後、アタマでっかち書物知識の都会のススんだ左翼学生共から、アメリカお墨付きのポツダム自治会と散々馬鹿にされたけどね。殺されちまった親親戚、特攻死しちまった先輩共の思い受け継いだ者達の怒り憎しみが、’70年頃まで竜頭蛇尾で続いた若さの運動(真っ当な労働運動)の源流だったと俺は思ってる。


 ピラミッド製の知識となれ合う精神の上げ底構造、うそ臭さ。家庭崩壊が象徴する、暮らしの中の実体の無さ。社会だけじゃない、ニンゲンの魂そのもの腐らす虚妄。


 ウソの構造の解説なんてもうやらねえさ。クソ暑い中の無駄な二度手間、三度手間。


 こんなもん、分かってる奴は分かってるからだ。知識以前の直観で。個体発生は系統発生繰り返すって言うだろ。ニンゲンの知恵・本能に、真っ当な暮らしの中に、否応無く仕組まれたヒトの直観。こいつに委ねりゃ誰だって分かる話。


 ところで、東京(とその係累)がなぜ宦官社会かって? 長くなっちまったから、結論だけ。構造に乗っかって飯食ってるからさ。百も承知の上で。


 百も承知って、何んで分かるかって? 嫌味だけは的確にぬかすからさ。的確に邪魔するからさ。仕組み破壊につながる行動は。社会レベルでも、個人レベルでも。こういう時ゃ、ミギだろうがヒダリだろうが一致団結。


 俺が言うのは、体験レベルのお話。散々痛てえ目って奴。お人好しの若さの頃の。今じゃ、知らんぷりするぐらいのフトさあるけどね。


 ウソの虚妄白日にしながら、その後ブタのように寝込んだ「団塊」のこと言おうと思ったけど、時間切れ。汗流したフリ・闘ったフリの不労所得金利暮らしであの世に逃げ込もうなんて奴らに、何言っても始まらねえけど。


こいつらは上げ底・虚妄の知放逐し、暮らしに根ざした知(思想)構築のチャンスと時間たっぷりもらった、唯一の世代だった。左右にかかわらずね。

宿題何一つ片付けねえまま遊び呆けて、夏休み終わっちまうガキんちょと一緒。可愛げのカケラもねえとこ除きゃ。