東京仕様の者達に特徴的なこと。「それはもう、誰々が言った」「あれももう、これこれがやった」。言って、話にふたしちゃうこと。
 「知ってる」ことが全てなんだね。ブランド化したどなた様か言ったこと。やったこと。


 こいつは俺の経験じゃ、「知」の偏差値にゃ関係ねえ。左も右も関係ねえ。ピンからキリまでこの手合い。構造的問題ってやつだね。


 何年か前、東京の進学校とやらでスポーツ教えた者が言ったとか。「こいつら、自分達はここまでと、自分“信じて”疑わねえ」。「それ切り崩すのが仕事だった」。田舎もんも一緒だけどね。ど田舎に残っちまったオレは、どうしようもねえ馬鹿。そう信じて疑わねえとこなんか。


 無化って分かるかい? 無にする、ちゃらにするってことさ、ヘンな思い込み。別の何んかで置き換えねえで。劣等感をニッポン主義で誤魔化した、爺い達みてえなことしねえで。


 ブランド・権威にすがらねえで、素直に自分見るってことさ。力湛えた無の自分。そっから始めるってことさ。そういう自分信じるってことさ。誰が言った、あれがやったと、アタマいい人達が仕分けしてくれても。


 俺も言われるね。「無」なんてもう○○年前、誰々が言った。何百年前これこれが書いた。


 哲学してるんじゃねえんだけど。オレ。普通の庶民人民が腹で思うこと、俺なりに言っただけ。日々やってること、俺なりにしゃべっただけ。昔も今も変らずって話をね。