神の国。裏日本の元首相、体育会出の父っちゃん坊やの話じゃねえさ。アメリカ合衆国の話。


 奴らの踏み絵は神。エリツィンが大統領だった頃、アメリカで記者会見だかで聞かれてた。「あなたは神のこと、どう思いますか?」。踏み絵の質問。共産主義、ほんとに捨てたんかい? 「教会行くと心洗われる」。そう答えてたね。


 糞食らえ、クリスチャン。ついでにユダヤ教。こんなこと、間違っても言えねえGOD BLESS AMERICA。神信じねえ奴即悪―ってより異質。異質ってのは、奴らにとっちゃ悪より悪りい。悪魔だって、神の世界のお仲間。カシアス・クレイも、乗り換えたが捨てられなかった。神自体は。神さまは一緒なんだね。回教も。


 神の本質は俺だ―なんて言ったら、総スカンだべ。即ヒュブリス(Hybris)って思うんだろね。ニーチェは、ナチのイデオローグかい? ただの苦労人さ。考え過ぎの。
言いたくても、なかなか言い表せねえもんはある。それで散々苦労したんだろ。無と虚無の差とか。


 数年前。田舎町の潰れたゲーム屋改装して、葬儀場にした男が言った。「無宗教と不信心ってのは違うぜ」。不信心は商売にならねえ。無宗教ならセレモニーぐらいするべ。その辺の性根で言ったんだろけどね。無と虚無の差ってのは、これさ。セレモニーなんざ、どうでもいいが。


 何度も言うけど、無って奴は豊穣だ。虚無の対極。何でも含むから無。トータルだから無。加色混合の白。減色混合の黒。凝固解かれた混沌の無、生き生きの無。混沌なんて言うと、またまたアレルギー出るべ。神の秩序のヤンキーにゃ。秩序じゃなく調和さ。人の心は。


 無は人間そのものだ。無を振り返る。自分振り返る。無を感じる。自分感じる。無を信じる。自分信じる。自分の可能性信じる。潜在力信じる。思い込みに観念に括られ、抑圧されてた―。


 虚無ってのは、観念が生むんだぜ。凝り固まった観念がね。無の物象化。無の凝固。こいつが観念または神。すがりゃすがるほど心は空っぽ。口先と人生はかい離。単純な物理法則さ。


 憎悪生むのは観念さ。でけえ面した観念。こいつが一番いけねえ。気持ちにまで土足で上がり込んで、のさばる。銭と制度と物理力。こいつに重ねて、綺麗事でめかし込んで。だから生み出す。要らねえ憎悪。テロとの戦い? てめえと戦えや。その前に。


 クリスチャンの専売特許、愛。愛って無だぜ。全部含むってんならね。えこひいき、上昇志向の偏愛じゃなけりゃね。



(追伸)
 ニーチェはヨーロッパの田舎もん、元祖おたくの苦労人さ。真っ当に格闘したんだろ。自分の体感、実感で。延々続く観念、因習と。
 「ニーチェは生涯必死で言った。当たり前のことを」は、あるフランス人の言とか。後の祭りの時期になり、「実は俺も思ってた」なんてインテリ・都会人、戦後わんさといたそうな。